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考える「独り言」
「言葉の重み」
テレビから安倍さんの持論を展開する画面が流れている。この人の発する「国民の安全」「国民の平和」「国民の幸せ」に、本来は人の心を捉えるはずの言葉なのだがとても違和感を感じる。それも毎回なのだ。安倍さんのこうした言葉本来の意味を伝えきれない要素に何があるのだろうか。人の「心」を伴うはずの言葉は空しく宙を舞うだけだ。それは、安倍さん自身が「軍事的平和主義」を前提にしているからではないだろうか。力は力で制するものという非人間的な考え方が根底にくすぶっている。先の大戦では、数年間で数百万単位で人の命が失われた。別の考え方では奪われたとも言える。平和は何を持って成されるのか、義務教育の教育改革は、道徳教育の教科扱いにより、教育の政治的利用の臭いがプンプンしている。
「外交的平和主義」、平和憲法を持つことを誇りに思ってきた私は、力によって制することを前提にすべきではないと心に念じている。私たちは、人と心を通わせるために唯一「ことば」を授かった動物だ。知的な判断を有することが、平和憲法を持っている国民の誇りではないだろうか。
「美味しんぼ」問題も、薄れ行く放射線問題に、改めて福島県民だけでなく、広く放射線被害に苦しむ人々の事を思い起こさせる提起となっている。表現の問題ではなく、本質的な問題として改めて放射線被害を考えるべきだと思う。過去に於いて、広島・長崎の原爆被害は、放射線被害者を差別する問題にまで発展した。福島原発問題はまだ収束はしていない。現実的には、田畑の放射線汚染、河川や海の放射線汚染、そして、人的放射線汚染へと繋がっている。熱しやすく冷めやすい国民性に於いて、今回の「美味しんぼ」作者による忘れ去れれようとしている福島原発事故への新たな問題提起として私は評価している。
『感謝』
私は、物事に対する考え方、人との関係を両親から教わった。このことは以前も書いた。自分が大人になり、結婚して子どもをもうけ親となった今だから、子どもの時親に発した言葉、その言葉を受け止めた親の気持ちがわかる。言葉は常に「心」を伴う。通じなければ言葉に迷いや、野心、邪念があるときだろう。時に批判に晒されながらも伝えなければならない事もある。人の言葉に耳を傾けることの大切さを失ってはならない。こうした教えは、親から伝えられるべきだ。
親だから、例え憎まれても我が子を叱る事が出来る。親だから、他人が見放しても最後まで見守ることができる。親の思いが解るようになったとき、初めて人は親となれるのではないだだろうか。
金曜日、久しぶりに母の家に子ども達、孫達全員が集まった。母は、人一倍気を遣う。そして、常に「感謝、感謝」が口癖だった。そして、「公平に、公平に」も同様だった。全員が集まるのは珍しい、昔話に花が咲く、座卓を囲み酒を酌み交わし思い出にふけるもの、母のところで話しかける者、其の中心は我が母であった。しかし、残念ながらいくら話しかけても母は目を閉じたままだった。それは、次の日も同じだった。いくら「目を覚ましてよ!」と叫んでも…。平成26年5月16日(金)午前8時半 享年93歳、母は父の待つ所へと旅だった。
2014/5/18
著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫
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