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考える時間(独り言)

「短絡的な社会」

日本社会に危機が訪れている。この一週間の間で、幾つもの殺人事件が立て続けに起きている。その犯行はまるで映画やドラマを見ているように悲惨で残酷なものだ。遺体処理の残虐性には、人としての理性や知性を感じることはできない。何故こうも先を急ぐのであろうか。犯罪を犯した者を罰しても、問題の解決には至らない。

今日は参議院選挙だ、しかし、政治家が御身大事の自己主張を繰り返し、国民に夢と希望を与える力が持てない以上、日本社会は救いようが無いのかも知れない。克己できない大人達を、子ども達は見ている。それを証明するのが今回の投票率ではないだろうか。子ども達に起こっている問題は、何度も言うが大人社会を色濃く反映している。

新たな情報端末の普及は、新たなコミュニケーションツールの「ライン」を若者達の間に普及させた。同時に複数人表示できることから、若者達の新たな通信手段となっている。古今東西、通信の発達に敏感だったのは若者達だ。昭和の時代では、若者達の長電話が問題となった。現代では、それがスマホに取って代わっただけだ。しかし違っていることがある。それが「会話」だ。一般的なメールも、チャットも、ラインも会話は存在しない。本来、会話無きコミュニケーションはあり得ない。会話でも語り尽くすことはできない。しかし、それが会話だ。人は、システムやツールに支配され、次第に思考する時間を失っているのではないだろうか。子ども達を見ていても、メールが来ると返信を優先する。相手も、待つことを許さないという暗黙のルールがあるかのようだ。

「死ね」ということばの反乱と共に、ことばの意味を理解できない麻痺状態にある日本社会は、「命」を次第に軽視している。多くの犠牲者を出した福島原発問題も、解決されぬまま政治は動いている。今後、放射線汚染で何らかの傷害を発症する方々が増えてくるだろう。その時に考えても遅い。「命の大切さ」「絆」「助け合い」「感謝」、日本社会は、震災後多くのことばを「流行語」にしてしまった。あのときの募金は、具体的にどのように使われたのか、被災された方々の何に役立つことができたのか、大切な情報がもたらされぬまま震災から2年以上の月日が流れた。国を預かる政治家は、まず行動で示すことでしか道はない。

今後も予想される子ども達からのメッセージ、それが、殺人やいじめ、虐待であってはならない。まずは、家庭から。家族間のコミュニケーションを大切して頂きたい。今、幼児期に受ける虐待が子ども達にどのような影響を与えるのかをまとめている。その報告を、入院中のブログにアップさせて頂く。調査からは驚きの結果が報告されている。

そして、このような時代背景から、教育現場で生きる者としてできる事を考え直してみた。やはり教育の重要性を改めて実感した。私は、教育の中でメッセージやテーマを持って臨むことが多い。例えば、講習がそうだ。学ぶことに関しては同じだが、日々の授業とは違うテーマを持つことで講習のあり方も変わってくる。そして、もう一つ取り組んでいるものがある。それがテーマを持った教材作成だ。かつて、提供させて頂いた教材が先生方だけでなく、保護者の方々から大きな反響を呼んだことがある。それは、4年生の国語教材で取り上げた「姥捨て山」だった。親・命・愛を子ども達に考えさせたいと思い取り上げた。教材は、単に学力を上げれば良いというものでは無いと考えている。教材を通して何を教えるのか、何について考えて貰うのか、そこには色々な意見があるだろう。だから会話が必要で、人の意見に耳を貸すことが大切になってくる。自分の考えを伝える事が大切になってくる。そして今、新たに国語教材(低学年)を開発すことになり動き始めた。ありきたりの問題を解くという発想から、問題について考える、つまり思考力に重点を置く教材となる。親、兄弟、姉妹、友人、祖父母、先生、学校、動物、自然、社会、愛、命、病気、いじめ、ゲーム、遊び、運動、携帯(スマホ)等、子ども達と一緒に考えていきたいテーマが絞られてきた。

テーマとは別に、多くの語彙の獲得も視野に入れている。子ども達に考える力を与えるためだ。急激な時代の変化は弱者に多くの負担を強いることになる。閉塞感のある時代に必要なのは、自分勝手な自由ではない。だから心を育む必要がある。16歳に代表されるが、彼らにこれ以上犯罪を繰り返させてはならない。

2013/7/21


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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