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是か非か「独り言」

「意志」

テレビドラマについて私見を述べさせて頂いたが、ドラマへの関心の高さか、コメントも数多く頂戴した。最近の出来事から感じるのだが、常に物事の是非で論じられているように感じる。沖縄県名護市長選、福島県南相馬市長選、国にとって重要な選挙であったが、政府与党の押す候補は敗れた。しかし、どちらも勝ち負けで片付けられない問題が山積している。本質を欠いた勝ち負けの論議で沖縄県民の置かれた現状が矮小化されてはならない。福島も同様だ。原発推進について論ずる前に、今の福島原発をどう処理するのか、人間の一生を超える時間が必要な原発の後処理に対応できなくて原発推進はあり得ないというのが常識的判断ではないだろうか。

天童市の中学生が自殺した事件、背景にやはりというべきか「いじめ」があったと報じられた。当初、市教委は「いじめはない」と言い切った。学校側も同様だ。いつものおきまりのシーンが展開される。ここでも、いじめがあったかどうかという二律背反的思考で判断されている。子どもの自殺というあってはならない結果を重要視していない。一人の中学生が自殺を選んだ理由に何故「いじめ」という要因が浮かばないのか、理性だけの判断が産んだ結果に教育委員会の限界と、中学校の教育の限界を感じる。「守るのはどっちだ!」と叫ぶ声が聞こえてきそうだ。しかし、今回も、単純な二律背反的思考ではなく、自分たちを守る事を最も重要と考えたのだろう、いじめがあったか否かで論じ、事を曖昧にしようとしている。この学校側や教育委員会の体質が、日常化しているいじめの実態を闇に葬っている。このような対応を繰り返す学校の中で子ども達は何を学ぶだろうか。私は、昨年だけでも学校の体質による様々な問題点を嫌と言うほど見せつけられてきた。素直な正確な子どもほどこうした大人の行動に対し反抗してくる。

意識して見る、これは教育の基本だ。物事に意識して臨まなければ学習は成り立たない。「いじめ問題」は何故なくならないのか。私の時代でもいじめはあった。今回の事件でも初めからいじめはないと言い切ることに学校社会の閉鎖性を感じる。そして、この発表自体学校が、教師がいじめを意識していないと言うことに繋がるのではなうだろうか。それは、同時に学校自体が生徒を見捨てていることにも繋がることを意味している。何故いじめがあるかないかの論議になるのか。事件が起きた背景の中で一番子どもが苦しむ要因は何かを探ることから始まるのではないのか。こうして常に後味の悪い結果を招いている。何故子どものことを第一に考えられないのか、学校で何が起きているのだろうか。

2013/1/20


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川先生監修!

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