夢と希望(独り言)
「幼児教育の成果か!」
2週間にわたって行った白内障の手術も無事に終わり、一昨日退院した。まだ、視力は不安定だが、まるで霧が晴れたようにきれいな視界が飛び込んできた。しかし、やはり目の手術は恐ろしい。麻酔なのか、注射針が視界に入ってきたときは、思わず目をつむりたくなった? 消灯前、大きな眼帯姿の私はトイレに、途中曲がり角で警備員さんと出くわす。すると、警備員さんは、私の姿を見て叫び声を発した。私を幽霊と見間違えたのだろう。正直、申し訳ないことをしたが、笑いをこらえるのに必死だった。「夜の病院」子ども達に話すネタが増えた。
昨日、今春卒業した生徒が成績の報告に来てくれた。今春、兄妹そろっての受験だった。兄は防衛大学に、妹は看護士志望で看護課のある埼玉県立高校にそろっての合格だった。兄は医薬関係を希望しており、将来はこの兄妹に私もお世話して貰うのかも知れない。二人は、幼児から通ってきてくれていた。妹は、今学期の成績はかなり上位であった。各科目のテストの点数は80を超え、申し分ない内容だった。この兄妹だけでなく、幼児からきてくれている子ども達に幾つかの共通点があった。
まず、自分自身を見失わない強い「信念」「意志」を持っていることだ。彼女は、教室にきて、一度もスマホを出さない。必要な時以外使わないという。通話・メールアプリのラインも、必要な事を伝えるのみ、そのラインについても、いじめの世界があることを明かしてくれる。「すぐ他人に合わせようとする子が多い、疲れるだけなのに」と、友人の行動を一喝する。コミュニケーションは大切、でも自分を殺し他人に迎合することがコミュニケーションではないと言い切る。高一だが、一本筋が通っている。考えてみれば、授業の中で、社会問題を数多く取り上げ、それぞれの考え方や意見を述べさせていた。それは、幼児期から行われていた。意見を交わすことの大切さを伝えたかったからだ。
更に、彼らは、信念の強さに加え、自分自身の将来を考えられることができるようになっていた。それぞれが自分の信念の元、「夢」を描いていた。大学進学でもそれは活かされていた。名前で大学を選ぶのではなく、その先の将来を見据えた大学受験であった。彼らは見事にその夢の第一歩を自らの力で歩み始めている。目指す大学への受験は自分の夢の実現に向けた第一歩であった。その手前の高校受験も、将来を見据えた中で行われていた。彼らの問題意識は高く、政治、経済問題も語り合ったことがしばしばある。
ある外国生まれで外国育ちの若い芸能人が、「日本の高校生は、自分の国について何も語らないし語れない」と言った。そして、「恋愛やファッション、芸能のことばかり、勉強のはなしなど出てこない。それは変だし、情けないことだ。」と言い切る。そうかも知れない。親子で芸能ごっこを楽しむ情けない時代を迎えていると言った評論家もいた。
こうして、時折尋ねてくる卒塾生から、我が塾、我が教育の原点を彼らを通して教えられる。世の中、ことばだけの教育が多い。やはり、真の教育は幼い内から鍛えていかなければならないと改めて思う。「鉄は熱いうちに打て」「三つ子の魂百まで」、そのことば通り幼児教育の成果は単に学習面だけではないようだ。今の時代、子ども達に信念や夢を持てといくら言っても聞く耳を持たない子どもが多い。それは、成熟しきれない大人社会と、子ども社会の中で、他人やグループに迎合することで自分の立場を守っていると錯覚している状況と酷似している。どちらも信念がないのだ。
幼児教育から学習を開始したからと言って、実は、誰もが自分自身の信念を持ち、目的や目標を定めるとは限らない。幼児教育だからではない。そこに集まる大人達の子どもへの思いと意識がそうさせるのだ。彼らには常に疑問をぶつけてきた。モノという立体を盛るには、様々に角度を変え見ていく必要がある。思考も同じだ。子ども達には様々な考え方があることを知らせる必要がある。理解させる必要がある。
この信念や強い意志、そして夢が子どもの人間性を高めていく。高い人間性に裏付けされた子どもの精神的成長は、そこに学力が加わることでより成長していく。最近、子どもを取り巻く環境の劣化に悩んでいたが、自分自身が追い求める教育の道に、新たな道しるべがたった。やはり幼児教育が子ども達の未来を導いてくれると確信した。
我が教え子達に心から感謝する!!
2013/7/27
著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫
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