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教育を守る「独り言」

「自由に語れる世界」

政府自民党による「特別秘密保護法案」の行方が気になる。言論の自由、よくマスコミの方が口にすることばだが、教育の現場でも同じ事が言える。私にとって巡り合わせなのか、「はだしのゲン問題」「やなせたかし先生の死去」共に、教育と深く関わりのある方のコメントをテレビでさせて頂いた。最近、数多く目にする「教育改革」だが、私にとって気になるのが、年中まで年齢を下げた新たな義務教育案ではないかと人は言う。しかし、それ以上に「危機感」を持ってしまうのが「道徳教育の教科制」だ。道徳が教科として位置づけられれば、道徳という人の考えや思い、心そのものに公的な成績評価が下されることになる。

我が国の戦前教育は悲惨だった。教育は、全て軍の配下に置かれ、そこには自由がなかった。いわゆる軍国主義が我が国を支配していた。先生達が行う子どものための勉強会も、集会というもの自体が禁止されていたため、政治的集まりと見なされ処分対象になっていた。特別秘密保護法と道徳の教科への移行が、先の国指導による心の統制にならないか非常に心配であり危機感を感じている。あの時代でも、子ども達を守る教師達がいた。身を賭して子どもを守るも教師がいた。隣国も、領土了解を巡り国民にナショナリズムを煽っている。なるほど、思考力を持つということはここで生きてくるのかと自分に言い聞かす。

皆さんのコメントをお読みすると、「愛」ということばが非常に多く登場する。人間が常に持つべき大切な心の表現だ。ここで語られる愛と、東日本大震災で多くのマスコミが取り上げた愛の表現である「絆」とは違いがあるように思う。大震災という未曾有の災害から「絆」の大切さを改めて感じたという表現に、この国の稚拙さを感じてしまった。言われなければ、身をもって体験しなければ感じられない程「絆」というものが人々から無くなっていたのだ。周囲を見回すと、我が子を虐待し殺害する親、好きな人を自由にできないことから殺害する者、友達とメール上で罵りあい殺害した16歳、数え上げたらきりがないほど、自己中心の犯罪が目立つ。体罰も同様だ。

私は、教育改革が叫ばれる中、改めて教育を見直し始めた。やはり、教育は子どもを守るという原理原則を貫かなければならない。子どもが自立できるよう指導しなければならない。自分の考えが持てるよう、指導していかなければならない。こうして、子どもを守るという行為が、彼らを取り巻く「教育」を守ることに繋がるはずだ。今起きているホテル業界の偽装問題。彼らは偽装しなければ成り立たない社会を自ら作り上げてしまった。何故なら、守るべき対象を間違えているからだ。

偽装は、特に教育界では決してあってはならないことだ。偽装にまみれた教育では、真の教育論は語れない。月曜日、私は久しぶりに教育を語ってきた。それも自由に教育を語ってきた。帰り道、何と清々しかったことか。今、こうして子ども達の事を考え、自由闊達に教育を語れる事に感謝した。また、それには語れる人間の存在もある。聞いてくれる人間の存在がある。

私は、いかようにも解釈できる「特別秘密保護法」に反対である。友と、理解者と、子ども達と、そして皆と、自由に教育について語りたい。

2013/10/30


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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