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独り言

「学ぶこと」

大きな社会問題となっている「体罰」は、様々な場所で波紋を広げています。我が国では伝統的に「愛の鞭」ということばがあります。互いの信頼関係の上に成り立つ場合にのみ成立すると言われていますが、その関係が上下関係に変化すると「体罰=暴力」へと一変します。やはり暴力は暴力であると判断すべきなのでしょう。ただ、互いの信頼関係の欠如は、このブログでも数多く取り上げてきたように、コミュニケーション不足というかなり深刻な問題であると言えます。

勝ち組、負け組ということばがあるように、いつの日か、経済面の事だけでなく、スポーツにも学習にも、そして人生にも勝ち負けにこだわる閉鎖的な心を人々に宿してしまったように思います。努力ということばを「ださい」「うざい」と否定し、「まじめ」という形容は人をバカにした単語へと変えてしまいました。「負けるな!」「勝たなければ意味はない!」ということばが飛び交うスポーツの世界、「勝負」の世界だからこそ見えてくる「体罰」ということばが空しく響いてきます。結論重視だから、負ければその間の努力は全て否定される。「学ぶ」ということばはどこにあるのか、だからこそ教育の現場では「心を教え育む」ことが課せられていると思います。

私は、プリンスジュニアの各教室で開かれた「ことばと文字のセミナー」で「心」は教え育てるものだと訴え続けてきました。それは、指導者である先生方の願いでもありました。そして保護者の方々の願いでもあったと、セミナーを通して感じました。幼児教育から始まる教育こそ、人間教育に他ならないことを。

今回の体罰問題の根底には、成長しきれていない大人の心があります。守るべき対象が見えていません。教育機関で起きる様々な不祥事は、対象である子ども達の成長発達を見守るのではなく、管理する側の体面と地位を保つことを主としていることに原因があります。指導者は、本来指導力が備わっていなければならず、暴力ではなくことばで説明表現できるスキルと、幅広い専門知識が必要です。更に洞察力と判断力が必要です。そして、最も大切な事は、指導者は全てを教えきれるものではないことを自覚すべきです。重要なことは、相手、つまり子ども達に「考えさせる」ことです。「考えさせる」為の指摘や指導をすべきで、その答えを子ども自身が導き出す補佐をするのが良い指導者です。

私は、今、教育について語れる仲間が数多くいます。共に悩み、考え、自分たちも自分たちで答えを出さなければいけない場を作っています。今週、火曜日には、幼小中の一貫教育を目指している、先生方と算数指導についての研究会があります。私達は「まじめ」に「努力」し続けます。

以上、独り言でした。

2013/1/30


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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