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NPDになる人とそれっぽい人になる人と被害者になる人と


僕でも引くレベルのヤバヤバNPDの人たちも、もしかしたら元々の性格?人格?にも問題があった上で「自らが奪う側にならねば生きていけなかった環境」は存在したのかなと。そして、毒を強めた結果に解毒もできなくなっている。

社会問題化しNPDの再生産が防げる社会になれば良いのですが。


僕の周りのNPDっぽさのある人たちは特にそうですが、必ずといっていいほど家庭の機能不全だったりNPD傾向の毒親育ちだったりします。もともとNPD予備軍を自覚していた僕もそうでした。親がNPDだったと思いますし、祖父母もそんな感じだったであろうと今は推察しています。

僕に関しては「親から色々奪われてしまうので、自分も奪う側に回らねば生きていけなかった」ははっきりありました。ネグレクト?精神的な暴力の方がキツくて、親のせいでうまくいかないことも多々あって。その反動か割としっかりものだけれど「奪う側」の邪悪な精神も育っていた気がします。

実際に友達と長続きしなかったりしましたし、実は結構悪いこともしてたんですね。捕まらなかっただけ。今はもう絶対にしないと言い切れますが、そうして誰かから「奪う側」に回ることが生存手段である子供はいるということです。



NPD毒親は「奪う者」NPD毒親の子供は「奪われる者」だった


僕は幸いにも「自覚」を得てNPDじゃない側に戻ってこれましたが(そうだと思いたい)、それができなかった「奪われる側」だった人たちは順調にNPD係数を上げていき毒をあちこちでばら撒いていて「奪う側」へといずれ転換します。

そうなるとどんどんNPDらしくなります。そしていろいろな条件が重なっていくとモラ夫やモラ妻、ハラスメント人間になっていくのかなと。NPDの度合いが低い人でも「自覚」がなかったら、「奪う側」の感性のせいでどこかしらで困った人になったり自分自身の生きづらさに悩んでしまうのかなと。「なんでこんなにうまくいかないのだろう」と。健やかに育った人ほど困った人とはちゃんと距離を置き身を守れるので、周りから人もいなくなりやすいです。

また、「奪われる側」の人の性格によってはNPD被害者としての色が濃くなり、NPDらしき人たちにターゲットされまくってしまい心身弱ることも十分にありますし、むしろこちらの方の方が悪いことをしない分生きづらさはかなり強そうです。




奪う側からも奪われる側からも脱して幸せになろう


これは本当に僕が日頃思っていることなのですが…身勝手な人に好かれる人ほど「優しそう」だったり、何かと素敵な点があって、NPDから手に入れたいと思われてしまい目をつけられ、嫌な思いをしているようで。あの人たちだって良心はないけれど人間ではあるので魅力的な人が多いとは感じます。何かNPDから見て光るところがあったわけです。単純にNPDが非常に劣ってて普通なのに目をつけられることもあります。

また。病的な競争心で全てにおいて人より上でいたいので、病気や怪我を含む逆境ですら「こっちの方がすごいぞ!」と被せてきます。もうこうなってくると詐病やもありますし、より一層まともではないのかもしれません。


狙われやすい人は自信を持って


ストーカーされたり執着されたり、嫌な思いをしているとそうは思えないかもしれませんが、もし気が軽くなってきたら「自分はそれだけ何かが素敵な人だったんだな」ぐらいの気持ちはあってもいいかもしれません。

僕個人的には、NPDの被害者の人ほどその自覚がなく、その謙虚さだとか優しさのあるメンタリティを見透かされてターゲットされる傾向はあるんじゃないかと睨んでます。優しさや攻撃性のなさが奴らにとって安心できる材料なのです。

だから根拠は特になくとも「俺は強い」「自分ってちょっと素敵かも」ぐらいの自己肯定はNPDから身を守るお守りのようになるんじゃないかなーと考えたりもします。

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