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九州踊る!物語 その5(土屋編)

33歳だった私が東京から宮崎市にJターンして8年目。
(一部の人には、しつこいけど、私は都城市出身。お隣の宮崎市には通学した事も、住んだこともない。ま、縁もゆかりもないないっちゃナイ!)

口蹄疫もあった、3.11もあった、自分の生き方や優先順位を考えていく中で、答えが出たわけではなく、偶然が重なっての 最後は勢いでの決断。

大事にしたのは、私が出来ること、私がしたいこと、私が求められている事が重なる世界をど真ん中地元ではないけど、出身県・出身市の隣でもあった宮崎市で創るか見つけようとしていました。(実際、最初は出身の都城に会社を登記して、東京の会社のコンサルやってました)

あの頃、九州で踊りたいビジョンと出会えた

帰ってきてみて、とあるご縁あって、現在は発展的になくなってしまったITベンチャーに役員として参加させて頂いた。当時、惹かれたのは

「宮崎に1,000人の雇用をつくる」

というビジョンでした。このビジョンこそ、当時のわたしが九州で、宮崎で踊りたい!踊れる!これは踊る人増やせる!増やしたい!と思えたキーワードでした。

(新しいチームに飛び込む時はいつもですが)、なにか困り事がある部署に飛び込ませていただいて、多くの仲間とすったもんだしながら、黒字化したり、新規事業を立ち上げたりして、仲間を増やしていくプロセスであり、ビジネスキャリアをしっかりと地域で拡張したり、深耕させた時期でもありました。

宮崎から東京まで踊り手を探しに

これこそ、振り返れば「地方の祭りなんて、、、、」と冷めた目で見るのではなく、小さくても盆踊りのど真ん中に飛び込んで、自ら楽しむ、踊る、そしてどんどん輪を大きくするように踊り手を増やしていってました。
(アラタナのみなさんには感謝しかない!大好きだなー!今も仲良くしてくれてありがとう!!!宮崎の巷では僕らの事を「元タナ(モトタナ)」と言うらしい 笑)

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2015年当時までは、東京・大阪・福岡を中心に宮崎での踊り手を探す旅や踊りたくなる、踊れる仕組みづくりに取り組んでました。NHKの特番で紹介していただいたことも。

小さくても、つながる、やってみるきっかけとなる出会いさえあれば。

”今まで”じゃなくて、”今こそ”踊ってる!

踊れる場所との出会いなんて、滅多なことであるはずない!?
そんなことはなく、踊るのが楽しくなって、舞台に上がったり、あちらこちらで踊っていたら、ひょんなことから今では大学という世界でも踊りはじめています。

一昨年には、学生達と自腹で宮崎市代表として移住ドラフト会議に参加させていただきました。当時の記事はこちら

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自分が踊るだけじゃなく、踊る場所を作ったり、踊り方を見せてみたり、自由に踊っている人見つけたらマネしてみたり、踊り方、踊るタイミングなんて自由なんですよ。

気がつけば九州各地でいろんな出会いや役割を与えていただいたり、挑戦させて頂ける機会をいただきはじめましたよ。(九州だけじゃない気もするけど)

踊っている人の近くに行けば、気づけば踊ってるもんさ

僕らが思っているのは、観客席なんてないよね?ってこと。気がつけば、あなたがいるその場所は、すでに舞台だったりする。観客と踊り手で違いなんてない。

まずは、踊っている人の近くに行こうよ。
近くにいたら、気がつけば、心も身体も、リズムをとりはじめるはず。
気づけば、楽しくめっちゃ頭も心も身体も使って踊りはじめちゃってると思いますよ。(今までのキャリアだって活かせる)

(九州地域間連携推進機構株式会社 取締役 土屋有

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NPBでは、踊りたくなる九州をつくる仲間を募集しています。
エントリーは9/1 まで。お題の作文「あなたが自ら踊った経験を教えてください」をNPBメンバーが「自分だったら…」と綴るリレー企画を実施中です。明日も誰かが、「九州踊る!物語」をアップするので楽しみにしていてくださいね。
仲間募集記事はこちら 
楽しいエントリーをお待ちしています!

リレー企画ほかの作文はこちらです。
その1(永山編) 
その2(門間編) 
その3(田鹿編) 
その4(中井編) 

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