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元スクエア、セガ執行役員の私が、ローカルに賭ける理由

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NewsPicks NewSchoolのローカルプロデュースプロジェクトに参加中の森下英昭さん。ソニー・スクエアなどで要職を歴任した森下さんのキャリアは、まさにスーパーキャリアと言える。そんな森下さんがNewsPicks NewSchoolに求めたものとは?

1981 ソニー⼊社
1989 ⽶国⼦会社へ海外赴任
1997 帰国
1998 スカイパーフェクTV⼊社 
2000 スクウェア(現スクウェア・エニックス)⼊社  執⾏役員など
2002 セガ⼊社 ネットワーク戦略事業部・事業部⻑、執⾏役員など
2005 同社でソーシャル型オンラインエンタテイメント「セガリンク(SegaLink)」を⽴ち上げ
2006 上記サービスに特化するため(株)セガサミー・メディアを設⽴、常務取締役就任
2007 フォネックス・コミュニケーションズ(株式会社トーセの⼦会社)⼊社 副社⻑・CTOなど
2008 株式会社リブリカ設⽴ 代表取締役就任
2012 個⼈事業(コンサルティング等)を開始
2013 キャッチメディアジャパン株式会社 代表取締役就任(2020年5⽉退任)

全盛期のソニーから

森下さんは新卒でソニーに入社。放送局、プロダクション向け映像機器の電子回路設計のエンジニアからそのキャリアはスタートした。

その後、アメリカへの販路拡大のマーケティング責任者、プロダクト・マネージャーとして駐米。社長賞受賞などその能力を遺憾なく発揮する。時代は、アナログからデジタルへという変革期とも重なり、アメリカ滞在は8年以上となった。

「さすがにそろそろ帰って来い」と言われ日本に帰国。ただ、アメリカでのキャリアを活かせる場所が社内であまり見つからなかった。

その頃の日本では、ちょうど「スカイパーフェクTV」(以降スカパー)が立ち上がったタイミングだ。

森下さんは、アメリカでの赴任中にABC、CNN、FOXなどの放送局や映画会社に対しプロフェッショナル用の映像機器を製造販売し、その現場に関わってきたとこともあり、次第に映像を作る方、放送局側に興味が湧いてきたという。

そこで、資本関係もあったスカパーに異動を申し出るも、社内では却下されてしまう。

「じゃー、辞めて行っちゃおう!」

とあっさりスカパーに転職した。

あの時代のソニーを辞めることに対して、周囲の反対などはなかったのだろうか?

「ソニーという会社は、辞めることに対して全然変な引き留めはありません。スッキリと辞めさせてくれます。なのでソニーシンパのままでいられます」

「元ソニーの人は世の中にたくさんいるのですが、みんな、辞めてもソニーが好きだし、元の職場のメンバーとも付き合い続けられる」

と森下さんは語る。

転職後は念願叶って、スカパーで映像を作る側に携わり始めたが、当時はまさにインターネットの波が押し寄せてきていた時代だ。スカパーの衛星放送で出来ることに限界を感じ始めていたところ、ゲーム会社のスクウェア(現スクウェア・エニックス)から声がかかる。

ただ、声はかかったものの、森下さん自身は全然ゲームをやらないため、最初は、断ろうかと思ったという。

しかし、話を聞くとゲームが思っていた以上に奥深く、面白い世界であることを知る。ゲームをプラットフォームにして様々な構想を描く事業に興味を抱いた。

インターフェイスとして優れている部分や、エンターテイメントとしての可能性も感じ、転職を決意。スクゥエアにはアメリカ子会社のオンライン事業の責任者として採用されることになった。

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大企業の論理に嫌気が差した

転職後、森下さんは再びアメリカへと渡った。

しかし、日米同時プロジェクトの重みに本体が耐えられなくなり、日本への帰国要請が出た。「執行役員として日本に戻ってこい」という。

ところが、今度はその執行役員としての業務が想像以上に激務だった。しかも、事業を巡ってトップともコンフリクトが生じた。森下さんの業務の主軸はこのころからマネジメントになっていった。

その後、セガにヘッドハンティングされて転職。しかし、ゼガで新規に立ち上げた事業も本体の意向でシュリンク。このころから、大企業のロジックに完全に嫌気が差した。

「組織として大人数を使って仕掛けられるのはいいけど、自分の仕事としての手触り感もだんだん遠のいていく。さらに、ロジックとしての理不尽さも増す。いくらいいものを創って自分たちが頑張っても、いきなりお取り潰しに合うし、よくわかっていないおっさんがいきなり自分の上にきたりする」

それで「もうやるんだったら自分でやろう!」となったと森下さんは語る。

しかし、そこからまた森下さんの非凡さが発揮される。

次に入社した会社は、これまで経験してきたような大企業ではなく、こじんまりとした人数の会社だったという。森下さんはその会社でもビジネスの才能をいかんなく発揮した。

森下さんは大手出版4社とJVを組み、プレイステーションで電子マンガ配信サービスを事業化したり、任天堂Wiiカラオケを事業化したという。

これがiPhoneがまだ世に出る前のタイミングだったというから恐れ入る。

さらに、グローバルのクラウドファンディングキックスターターで、ふたつのギネス記録まで打ち立てる。調達額(約7億)と1億円到達最速記録だ。

2012年には、個人事業主として会社を設立した。

それにしても、これまでローカルとは全く無縁のデジタル・エンタメ・ゲーム業界で華々しい実績を作ってきた森下さんは、なぜ今ローカルプロデュースに興味を持ったのだろうか?

それは、コロナ禍の中で、とある会社からビジネスの地域展開の相談を受けたことがきっかけだという。

相談に乗って調べたり、調査していくうちに、ローカルにまつわる様々な課題を改めて知ることになった。

大都市、効率重視の今の世の中の仕組み、大袈裟に言えば資本主義が限界に来ていることを感じていた。そこに発生したコロナ禍。森下さんは今まで以上に時代が変わると感じている。

そんな中、森下さんは今までのキャリアを活かし、何をするべきかをずっと考えていた。そんな時にNewsPicks NewSchoolのローカルプロデュースプロジェクトを知った。

NewSchoolのコンセプト「学ぶ、創る、稼ぐ」に特に共感したという。

「【学ぶ】要素もたくさんあると思っているが、それ以上にどれだけ【創る】ことが出来るかだと考えている。そして、その結果として【稼ぐ】ことが出来れば万々歳。そのためにより多くの人と交流し、共に考え、共に動くことがどこまでできるかが大事だと思う。」

「ローカルプロデュースを通し、自分自身がどう変わって行くのか楽しみです。」

というコメントの通り、森下さんはまだまだ何かを起こしてくれそうだ。

(2020年8月 文:おぐちあやこ

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