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能登の復旧は諦めるべきか否か(人権のトリレンマ)

この度の大地震で被災した、能登の皆さんにはお見舞い申し上げるとともに、命を守るため今から金沢など都心部に集団移転することを、特に高齢者など災害弱者にはおすすめしたい。背景には、リプロダクティブライツ(=婚姻の自由、憲法24条)・生存権(憲法25条)・居住移転の自由(憲法22条)という人権をめぐるトリレンマの構造がある。

集団移転を示唆する人たち


この問題は発災当初ばかりか、昨年から指摘する論客もいた。例えばデー見る氏は昨年秋の時点で、インフラの維持と居住の自由を両立させることが高齢化で困難になると指摘している。発災後には石川県在住のエターナル総書記氏や、元新潟県知事の米山隆一氏など北陸にゆかりのある論客たちが同様の発言を行い論議を呼んだ。

高齢化が生存権や居住の権利に関与するというデー見る氏の主張(https://twitter.com/shioshio38/status/1712149951638286757?t=d3gef8SdnFnJVMSncylI5w&s=19 )。
移住に言及した米山氏(https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1744081575242039475)。
究極の判断だというエターナル総書記氏(https://twitter.com/kelog21/status/1741857039239045432)。

結論から言うと、「少子高齢化の進行」「災害対策の強化」「居住移転の自由を完全に保障すること」は実効性の問題から同時に2つしか起こすことができない。
それぞれの組み合わせの場合を詳しく見ていく。はじめに、災害対策と居住の自由がともに保障された社会では、散り散りに住まう人々にあまねく強靱な災害対策、つまりインフラを供給するためのリソースが大量に必要となる。要するに若い人手が多く供給される必要が生じる。これは端的に、少子高齢化を止めることに他ならない。だが、2100年の日本の人口は8000万人程度と現状の3分の2に減少することが予想されている。またこの数値自体も目標であり、過去の傾向から実際は目標の1割減ぐらいに着地することが多いため、7000万人前後に人口が減ると思われる。よって、この選択肢をとることは非常に険しい道のりであると言わざるをえない

次に、少子高齢化が進行しながら、居住移転の自由が十分に保障された社会では、災害対策(インフラ)を強化することが困難になるだろう。高齢化した働き手となりえない人々が散り散りに住まう社会では、人手が不足するうえに、長距離の配送網が存在するため災害時復旧に要する時間が長期化する。また、災害対策や復旧の本質は広く国民の生存権を保障することである。一例として、生存権に深くかかわる生活保護では次のようなことが起きている。

1966年、大阪府八尾市で乳児を抱えた母親が保護の申請をしたところ、ミルクを冷やすために買った電気冷蔵庫の処分が条件と言われ、母子心中した事件が起きた。

電気冷蔵庫と電話の条件付き保有は翌67年、カラーテレビの保有は72年などと、次第に認められるようになった。

電化製品等の保有は、その居住地域で7割程度の普及率がめどにされる。しかし、近年でも埼玉県桶川市で、79歳の女性がクーラー保有を理由に「保護打ち切り」を通告され、クーラーを外して脱水症状で倒れた事例があった(94年)。

NHK、【社会保障70年の歩み】第3回・生活保護「水と番茶の違い」https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3500/207770.html

つまり、生活保護の運用では家電を保有することが人権(生存権)の一部であると少しずつ認められてきた。家電の動力たる電気を供給する会社にユニバーサルサービスが義務づけられているのは、こうした背景がある。要するに、生存権に実効性を付与しているのは日本国憲法そのものではなく電力会社やガス会社の社員たちである。危険をいとわず高所で作業にあたり、ガス漏れを検知すれば24時間いつでも緊急出動する。そうした会社のマンパワーが不足すれば、その時点で生存権はたちまち脅かされると表現しても構わない。

最後に、少子高齢化が進みながらも、災害対策を強化する社会では、やはり上記同様人手不足が深刻化する。これは現在の日本の状態で、建設業や運輸業では有効求人倍率が著しい上昇を見せている。このような場合では、自ら地域の復旧や、老朽化した社会インフラ――電気、水道、ガス、通信を修繕できない高齢者が人口の多数を占める地域は、自治体を運営することが極めて困難となる。また、自治体単位でなく、国や与党の立場で見ても、このような地域のインフラを、ユニバーサルサービスだからといっていつまでも人材確保のため値上げし続け、強引にサービスを継続するという事態になれば、人口の多い都市部住民の反感を買って、次の選挙で多数の票を失う可能性もありうる。つまり、このケースでは、票田となる都市部住民への配慮の観点から、過疎化した地域の居住移転の自由は一定放棄せざるを得なくなると考えられる。一票の格差が是正され、都市部の声が大きくなりつつある現状はこれを強める。
また何より、命を守る観点からも、この取り組みは不可避である。お年寄りが木造の古い家屋に住み、耐震性・耐火性ともに不十分で、崖や海岸の近くを離れず、分散して住まうために、地域全体の往診や救急に関係するリソースも不足する――この状態では、いざという時(災害・体調不良時)の生存権を担保できているとは言い難い。
参考:
https://twitter.com/anpanchi_31/status/1745057186290798686?t=WK8RjOGnoLIZpkLazx_iwA&s=19

さらに、高齢者が細々とした往診や小規模デイサービスなど莫大な医療リソースを消費することで、社会保険料を通じて現役世代の賃金を押し下げる効果があることも見逃せない。高齢者たちがバラバラに住まうことは、積み上がれば経済発展の妨げとなりうる。上記の観点を踏まえても、高齢者を密集させて住まうよう働きかける取り組みは避けられそうにない。

生存権や居住の自由は憲法に規定されたこととはいえ、肝心の実効性は願えば湧き出る泉の類ではない。実際には電力会社やガス会社、自衛隊や消防などのリソースの多寡によって規定されていると言って差し支えない。労働人口が劇的に減少する中で、どのように社会を維持・運営していくかという課題が突きつけられている。

路線バスのチェリーピッキング問題

数年前、岡山県内で路線バスを営業する両備バスという事業者が突如所轄の運輸局に多数の路線の廃止を申し入れたことがあった。この背景には、岡山市内の都心部で黒字を出し、郊外路線の赤字を補填していた両備バスの経営構造がある。問題となったのは、黒字の都心部にのみめぐりんという新規事業者が参入したことだ。めぐりんは郊外路線を持たないから、両備バスよりも安くサービスを提供できる。こうなると両備バスは利益をあげられず、巻き添えで郊外の公共交通は壊滅的な事態となることが予想された。これに怒った両備サイドが、めぐりんを認可した運輸局(国交省)に抗議の意志を示すため、多数の路線の廃止を申し入れるパフォーマンスに至ったのである。似た事例は枚挙に暇がなく、2024年に入ってからは長野県を地盤とし、高速バスで黒字をあげていた長電バスも「運転手不足で黒字の高速バスにさく人員が足りない」として、赤字だった長野市内の路線バスを日曜運休とした。
つまり裏を返して露悪的表現をすると、都心で社会インフラのサービスを享受することは、過疎地域のために不要なコストを支払っていることになる。こうした地域のサービスを終了すれば、理屈としては値下げすらありえる。

少子化問題について

少子高齢化に伴う劇的な人口のシュリンクや労働人口の減少を避けるためにはどのような方法があるだろうか。ひとつは、女子教育の普及が少子化を招くとの研究成果が多数ある。だから、女子教育、具体的には女子の大学進学を禁ずればよい…とはならないだろう。東工大が女子枠を導入した流れや背景のなかで、仮にそのような政策が実行されれば国際的に大変な問題として受け止められる。またいつもの定番メニューだが日本の少子化の8割は未婚化で説明できる(岩澤 2005,2010)ため、結婚を促せばよいがこれも人権の観点で見ると憲法24条やリプロダクティブライツを持ち出された途端苦しくなる。だからといってシングルマザーを支援すれば、一夫多妻制に類似した状態となり、残された相対的に貧困な男性がその支援リソースを真面目に供出するのかという議論になる。

結果、リプロダクティブライツ(=婚姻の自由、憲法24条)・生存権(憲法25条)・居住移転の自由(憲法22条)は、実効性の観点からいえば2つしか同時に成立しない。近い将来、政治家が都市部の人口(票田)を振りかざす形で、過疎地域に住むことが憲法22条の「公共の福祉」に反するという結論が導出されるかもしれない。


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