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徳倫理学~ビジネスへの視覚(2)~

前回は、ビジネスの世界でも徳倫理学が必要とされているとお話しました。その説明をすることが良きアリストテレス入門になるのではないかと考えています。

ビジネスの世界で徳が必要とされているというのは、日本においては意外に身近な考え方です。

渋沢栄一の『論語と算盤』という考えは今でも影響力を持っています。「論語」は道徳性、「算盤」は経済合理性を表していて、ビジネスの世界でも徳が必要であることは日本人には理解がしやすいのではないかと思います。

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あるいは越中富山の薬売りの「先用後利」という考え方もあります。先に顧客への奉仕があって、利益は後から付いてくるということで、無料で客先に薬を置いて利用された分だけ料金を回収するというビジネスモデルが生まれました。

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私たちにとって、ビジネスにおいて徳倫理学が必要であるということは身近ですらありますが、それがアリストテレスと結びつくというと違和感があると思います。

私たちに身近な商道徳とアリストテレスの徳倫理学の共通性は、コミュニティへの志向性にあります。

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カントの義務論が世界共通の普遍性を志向するのに対して、アリストテレスの徳倫理学は基本的にアテネというポリスにおいて成立しています。とりわけ政治に関心を持っています。

現代の議会制民主主義の「政治」というよりは、当時の人口20~30万人のポリスの運営をめぐる直接民主主義の政治です。しかも、参政権のある成年男子の市民は3.5~4万人とされています。現代日本の感覚で言えば小規模な都市です。盛り場に行けば知り合いに会うレベルです。

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当時のアテネでは、アゴラという広場で市民が政治について議論して、ポリスの方針を決定していました。しかも市民皆兵で軍事をも自ら担っていました。かのソクラテスも参戦していたようです。コミュニティへの当事者意識の高さは、小都市に住む私たち以上のものがあったとさえ言えるでしょう。

ビジネスの世界でもそのようなコミュニティ意識が必要とされているということが言えるでしょう。越中富山の薬売りのように顧客やサプライヤーとのクローズドな丁寧な関係構築は必要なのは言うまでもありません。

また、社内の従業員にとっても働きやすいコミュニティであるための場作りはもちろんのこと、地域に与える影響も考慮する必要があります。多くの従業員を雇用して、利益から納税して、コンプライアンスをガッチリ守ってオシマイということはありえません。

世界的にはコロナ禍や気候変動、日本国内では深刻な人口減少と過疎化、コミュニティの崩壊など、企業の存続に甚大な影響を与える要素に取り囲まれているからです。

日本には「情けは人の為ならず」ということわざがあります。目先の利益につながらないコミュニティへの貢献は、回り回って自分の商売に帰ってきます。

アリストテレスは、ポリスにおいて共有される「共通善」を私たち人間に必要な共通目的である据えています。そのことは私たち日本人の商道徳を参照しながら考察すると理解がしやすいのではないかと思います。

次回は、以前にもご紹介したマッキンタイアの議論を深く掘り下げてお話していきます。

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