徳倫理学~ビジネスへの視覚(1)~

いま、企業が徳を積むことが求められている。

こう言われると違和感とツッコミどころが満載です。

ところが今SDGsが流行しているところを見ると、まさに企業が徳を積むことが求められている現れだと言っていいでしょう。

もちろん、パッと見は上滑り感もあります。良くてもメセナの延長線上にある偽善的なポーズでしかなく、「やってる感」の良い子ぶりっ子のPRでしかないと言うツッコミも十分な正当性があります。

というのも、SDGsビジネス総合研究所・村井哲之氏自身が「SDGsはうさんくさいもの」と公言しているくらいだからです。

しかし、コロナ禍の現在、視座を哲学的に引き上げてみましょう。

従来、企業は経済活動の自由を大義名分として、多くの従業員を雇用して十分な所得を保証することが企業の存在理由とされてきました。功利主義の「最大多数の最大幸福」の現れだと言っていいでしょう。

企業が個人の内面に関わることはパワーハラスメントだとして、カントの義務論のような思想良心の自由に関わる倫理的なことには深く関わらなかったというのがもう一方の事実であったと言っていいでしょう。せいぜい、国家が定める法律を遵守する「コンプライアンス」が倫理の同義語であったと言ってもいいでしょう。

そんな中で、企業が徳を積むことが求められていると言われても、かつての松下神社とか稲盛和夫さんの説教めいた洗脳を受けるのではないかという危惧が起こるのもよく分かります。

しかし、個人の内心の自由や最大多数の最大幸福を尊重しつつも、コミュニティの持続可能性にコミットする必要性が発生している状況が訪れていることは、気候変動やコロナ禍に懊悩させられている現在明白になっています。

企業がコミュニティの持続可能性にコミットする上で徳倫理学がとても参考になります。そのあたりについて、しばらく連載していきます。



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