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フィリピンで出会った女の子にマジギレされた話。

どうも。ずいぶん昔の実話を載せます。

懐かしいけれど、永遠に忘れることのない体験。

もう11年くらい前の話。

当時、大学4年生でもう卒業するのみで 海外へ行ってみたい!と思い9月のシルバーウィークを使って、独自にNGO(海外のボランティア団体)を調べ、フィリピンのストリートチルドレンと遊ぶというワークショップ的な旅のツアーに応募した。

ギリギリで応募したためか、他にも多くの学生がご一緒するはずが、先に単身でフィリピンへ行ってくれ という話になった。他にひとりだけ、同じようにギリギリで応募した方がいるので その方とご一緒にとの話。

空港でその人と初対面。彼氏っぽい人の見送りから離れ、ご一緒する。ギャル感をなくした青山テルマっぽいその子は、初海外とのことだった。話すとすぐに意気投合。同い年ということもあり、話ははずんだ。

フィリピンのめっちゃぼろい宿舎に宿泊だったので「部屋がこわい」という理由でシャワーをその子が浴びている時、扉の前で待っていてくれと言われ、待っていたりした。なんか知らないが変なときめきとわくわくがあったが、これといったうわついたことはなかった。(彼氏いるやん)

ここまではええ空気で楽しい旅であった。
翌日、晴れており、1日フリーということもあり、冒険心まっしぐらなお年頃。じっとしているなんて無理である。その子を誘い、「街を散策しよう!」と意気揚々と出かけた。

ここはフィリピンの首都。マニラ。
もちろん治安は悪い。信号がない大きな道路をこれでもかというくらいクラクションをけたたましく鳴らしながら、よくぶつからないなと思えるドライブテクニックで車が行き交う。というよりクラクションが鳴っていない時があまりない。
歩いていくとすぐ声をかけられた。「コリアンコリアーン!」いや韓国人ちゃうねん。振り向くと、ラクダに乗ったおっちゃんがおった。「ニホンジン?ボク ナゴヤ イタヨ。」

あからさまにうさんくさい。だが「銃ウテルヨ」の言葉に反応してしまった。え?実銃撃てるの?すぐさまそのラクダにまたがる。ようは向こうでいうタクシーである。

お店に着くと、どうやら射撃場らしい。
中には警察官もおり、少しほっとした。
そして射撃スタート。耳に防音のやつをつけ、実銃を撃つ。衝撃がすごくて立っていられない。すごい。本物の銃ってやつは。ライフルも撃ったりした。隣でその女の子もキャーキャーいいながら楽しんでいる。よかった。

そしてお会計の時間がやってきた。あ、忘れていた。どれどれ。
「20000P」
驚愕した。日本円で約40000円である。貧乏旅行なのでそんなにお金はもちろん持っていない。そう。ぼったくりである。

横をみると、女の子の顔が真っ青になっていた。あ、俺がしっかりしなきゃ。
かろうじて日本語をしゃべれる案内のラクダのおっちゃんに通訳して!高すぎ!マネープリーズチープ!と伝えた。

急におっちゃんが日本語を話せなくなっていた。おいおいこのやろう。
さあどうする。みんな銃をもっており、なんだか表情も険しくなっている。やばい。やばいぞ。そしてそこで気づいた。フィリピンは警察も悪いやつらとグルだ。なんの信用もできない。

そこでふと気づいた。実はその日、参加させてもろたツアー団体の代表と会う約束をしていた。その代表は日本人だが、現地語が話せる。国際携帯で連絡。
すぐ電話でそこのスタッフに変わってと言われ、なにかを電話ごしに話した。みるみる店のスタッフたちの様子がそわそわし始めた。めんどくさいやつが来るといった様子だ。

金を安くしてやるから持っている金を全部よこせ と言ってきた。
僕はアホである。隠していたお金も含めて全て渡してしまった。その女の子も。

ツアー初日で一文無しになった僕らはとぼとぼと歩き、その代表と落ち合った。体はマッチョなのに顔は江原さん。すごいアンバランスな存在感の代表。でも頼り甲斐のある人だとすぐ分かった。

「いやー、いい経験したね!君たちが僕が企画したツアーで初めて騙された人だよ!」
おいおい。
「でもよかったよ。睡眠薬で眠らせられて気づけば丸裸っていうケースもあるから。その場合、分量が間違っていたらそのまま死んじゃうからね。金で解決する奴らでよかった!....わかるわかる!銃は男のロマンだからね。」
そう言いながらジーパンの破れ目から大量の紙幣を取り出し
「これ、貸しといてあげる。ちゃんと返してね。」
とお金をお借りした。

正直、こわかったけれどとても良い経験をしたと思った。同時に面白い経験だから誰かにすぐ話したいと思った。
そして他のツアーの人たちと合流。年齢の近い人たちだったのですぐ打ち解けた。そして真っ先に起きた出来事を笑い話として話した。
それがどうやらまずかった。

一緒に銃を撃ったあの子が急に不機嫌になった。もちろんその一件からしばらく口を閉ざしてはいたが、あからさまに目も合わせてくれなくなった。
ワークショップで僕が手をあげると彼女は目をそらした。おいおい、全体の空気を考えてくれよ。
正直そうおもった。怒って俺を嫌うのはしょうがないが、全体行動で空気を悪くするのはあかん。

その後、活動は全体だけではなかったのでよかった。ストリートチルドレンの子たちと遊び、岩でできた6畳くらいの家に9人くらいで住む家族の家にホームステイした。貧乏な家計に育つ子どもたちは僕よりもずっとずっとしっかりしていた。NARUTOが大好きだそうで、日本語の主題歌を歌ってくれた。夢を語ってくれた。目はずっと輝いていた。

ああ、ごめんって思った。銃を連射するためにフィリピンにきたわけではない。こうした瞬間に出会いたかったのだ僕は。
そしてあっという間に帰る日。実は日がずれていて他のツアー友人みんなは先に帰り、そうあの女の子と二人で帰らないといけなかった。
みんなに、どうか帰らないでくれと心でねがった。「まあ...がんばれ」とねぎらいの言葉をもらった。

帰りの送迎の車の中8時間。空港5時間。一切の無言。話せなかった。
そしてそのしびれも切れ、ようやく声が出た。
「なんか....すみませんでした。」
そう伝えるとその子も、重苦しく口を開いた。

「言うつもりはなかったけれど,,,,今後のあなたのことを思って言うね。」

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「人を傷つけてまで、とる笑いはどうかと思う。」
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この言葉はずっと忘れない。
そうなのである。ようは僕は 一連の出来事を笑い話として人にしゃべった。このことが彼女にとってはとても恥ずかしいことで、大いに傷ついたのだ。
僕は大きく反省した。少しばかりの慰謝料も払い、旅をあとにした。

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その子とはもう二度と会うことはないと思うが
よい教師になっているだろうか。

正直、僕はあれからもずっと
人にとっての笑いについて考えている。
どうあっても人は自分の発した言葉やとる笑いは
楽しい刺激であるが 誰かを傷つける脅威も兼ねている。

それはどんな言葉でも同じだ。
いじられキャラで生きてきた僕であったが
自分の捉え方が楽しくいれたからよかったが
暗く捉えていたらとっくに僕は死んでいる。

なんでもその人の捉え方次第で物事は明るくなるが暗くもなる。
笑いって...なんだろう。まがりなりにそれで生きて10年が過ぎた。

今でもあの子にとっての笑いを考える。

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