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「うみおとす手、すくいあげる手」 【Durational Performance Project Tokyo (DPPT) ワークショップvol.1 石田高大さん《6つのサイコロ》について】

以前、展示で訪れた時には、腰高よりも下がオレンジ、上がレモンイエローに塗り分けられていた【PARA神保町 2F】の壁は、いつからかマットな黒一色になっており、その手前に、一本足で、天板の四角いテーブルを置いたのが、『Durational Performance Project Tokyo (DPPT) ワークショップ vol.1』のプレゼンターである石田高大さんだった。
テーブル向かって左手には、愛全地蔵通りに面した窓があって(すりガラスで8枚、すなわち4対横並びになっている引き違い窓だ)、初日である2024年3月22日の午前中には、まだ日は差していなかった。そして、開始時刻の12時より2、3分早いが、パフォーマンス《6つのサイコロ》はもう始まっていて、ここから17時までの5時間に、翌23日の12時から15時前までのおよそ3時間を合わせた、約8時間にわたって行われた(さらに、パフォーマンス終了後、2時間半ほどのディスカッションが設けられた)。

壁を背に、テーブル前の丸椅子に掛けた石田さんはライトグレーのYシャツにチャコールグレーのスラックスで、靴を脱いでいる、その靴下も濃い灰色だ。そしてPARAの床、毛足の短いカーペットも鈍色(にびいろ)と錫色(すずいろ)のチェッカー模様で、テーブルの一本足から、天板にかけても灰白色、その上にはA3の木製パネルが1枚、ゲーム盤のように置かれている。
パネルの上にはさらに、一回り小さな和紙が敷かれていて、薄く筋が入り、厚みがあって張りの強そうなそれは壁紙に使われるものかもしれない。石田さんは、その上に散らばっていた6つのサイコロを、盤の真ん中にまず右手で積み上げていく、左手には黒内朱(くろうちしゅ)の亀甲椀を、お椀の “おしり” を包みこむように持っている。

サイコロには、

①サイズ的に最も大きい(ビー玉ぐらいだろうか)黒いサイコロが2つ、
②その一回り小さいくらいの白が1つ、
③さらに一回り小さい、クリアグリーンのものが1つ、
④人差し指の爪ほどの白と、
⑤最も小さい、小指の爪ほどの同じく白が1つずつ

の5種類があった。パフォーマンスを記録していく中で、それぞれを

「黒」、
「(白) 大」、
「緑」、
「(白) 中」、
「(白) 小」

と省略したが、石田さんはまず下から順に、「黒→中→緑→大→黒→小」と積み上げた。

その “賽の塔” を慎重に、親指と人差し指で回転させてしばらく鑑賞しているが、右肩から奥の壁、ちょうど担ぐような位置には、配電盤か何かが入っているのだろうか白い扉が付いていて、それこそサイコロを積み上げたように細長い。私が壁を見ている間にも、石田さんは左手のお椀をそっと被せる。塔が耐え、一瞬、お椀と拮抗したガチッという音のすぐ後に、崩れ落ちる物音が聞こえる、椀の口縁が、ぴたりと閉じる。

お椀を開くと、散らばったサイコロをひとつずつ摘まみ、カラカラッ…カラカラッ…と中へ入れていく、6つ全てを入れ終わったら、まずは「黒」を取り出し、盤上15センチくらいのところで止めた右手、その指先で確認するように回していく(うつむきがちの視線は盤面に注がれている)。指をすぼめるように落とした賽の目は「5」で、その次の「緑」は「6」だった。それ以降は、

"三中4”、
“四大4”、
“五黒5”、
“六小1”

で、最初の漢数字は石田さんが振った順序、真ん中は賽の種類で、右の算用数字は出目だが、棋譜もこうして自ずと生まれたのかもしれない。そしてその、「黒→緑→中→大→黒→小」という順序は、「中」と「緑」こそ入れ替わっているが、最初の塔の順番「黒→中→緑→大→黒→小」とほぼ一緒だ。

盤上に散らばったサイコロを、再びひとつずつ積み、しばし眺めた後、また椀を被せる。そして、“一大4”(2投目の「黒」にはじかれ、“一大6” に変わる)、”二黒2”…と振り始めたそこで “三中1” が床へと落ちたが、石田さんは気にせず、”四緑3”、“五黒5”、“六小1” と続ける。そして、盤上に残った5つだけを「黒→大→緑→小→黒」と積み上げ、落ちた「中」は、そのまま放置される。

5つになってから3度、振る→積む→崩す…のサイクルが繰り返されたが、4度目には、「大」と「黒」が落ちて残りの3個を「小→緑→黒」と積む。
そしてお椀を被せる…が倒れないのは椀の深さと塔の高さが一致し始めたからのようで、石田さんが左手を静かに胸の方へと引き寄せると、椀の中でコロコロッ…と鳴る。それでも倒れない場合には、2、3度素早く振って倒す、シュシュ…と、盤と口縁の擦れる音が交じる。

デュレーショナルパフォーマンス、すなわち長時間を要する(故に身体的・精神的負荷のかかる)パフォーマンスは、“失敗”、“ハプニング”、“アクシデント”…を呼び込むためにひとつの行為を引き延ばしたり、あるいは繰り返したりするのかもしれない。「黒→緑→小」と積んだ塔のてっぺんから「小」が転がり落ちた時、石田さんはひととき手を止め(考えている、あるいは思い出しているように見えた)、それから摘まんで振り直し、改めてそれを「黒→緑」の上に積んだ。アーティストは、おそらく色々な事態を予測し、対策しているはずで、石田さんもこのケースを事前に予期していたかもしれない、しかしそれは見ている側には推測することしかできない、だから、あたかも新しい “ルール” が今、生み出されたような心地だ。
ルールについてはディスカッションでも質問が出て、石田さん曰く、“右手で1個ずつ振る”、“すぐには拾わない”、“なるべく振った順に下から積む”…といったいくつかについては決めていたようだが、何か起こる度に考え、“アップデート” していたらしい。

22日に戻れば、椀から跳ね返ってきたサイコロを、石田さんはすぐさま入れなおした。またひとつルールが明らかになったが、それは石田さん個人のルール、というよりはこのパフォーマンス空間全体の摂理・法則みたいで、そうした “法則” が明らかになっていくこと、すこしずつ世界が広がっていくような感覚が、デュレーショナルパフォーマンスを見る面白さかもしれない。
“一緑2”、“二黒2” が続けざまに落ち、「中」ひとつが残った。以降、振る→(お椀に)戻す→振る…と4、5回反復された後、盤上から、ライトグレーのテーブルへと転がり落ちた。天板の上に留まったのはこれが初めてで、ここでも、(見ている私たちにとっては)新しい法則が生まれようとしていた。卓上の賽を一瞥した石田さんは、左手のお椀を盤の真ん中に伏せ、そのまま両手で盤を持って身体をひねり、左(私たち観客から見れば右)側の床に下ろす。そして立ち上がるとテーブルを持ち上げ床に下ろしていくが、腕に込められた力からその重さが見てとれる。テーブルはグレーに塗り替えられたのだろうか、客席側を向いた天板の裏、そこには元のチョコレート色が3/4ぐらい残っていたけれど、いきなり気づいたわけではなく、繰り返される中でふと目に留まった。何度も見ているから、その前に長時間佇んでいるから(やっと)気づく景色があって、そうした “周回遅れ” を捉えることができるのも、きっとデュレーショナルパフォーマンスの醍醐味だ。

テーブルを見ている間にも、石田さんは左手を “お椀” にして、床に散らばった(テーブルの上に落ちた「中」も、当然もろとも床に落ちた)サイコロを右手で摘まみ上げては、左手のひらに置いていく。盤を床に置くところからここまで、所作のひとつひとつが丁寧だ。6つ全て集め終わるとまずは椅子に座り、床の盤、その上のお椀を取って左手からひとつずつ注ぎ込んでいく(一気に流れ込まないよう、親指で抑えている)。
このサイクルが今後、幾度も繰り返されるが、椀を右手で持つのは毎回このタイミングだけだ、注ぎ終えるとまた床の盤上に置き、立ち上がってテーブルを戻す。そして座り直し、天板に盤とお椀(と、その中のサイコロ)を置き、左手で椀を持ち直す、石田さんの足元には、テーブルの一本脚、その円形の跡が残っており、少し前進している。最初のように塔を眺めることはなく、すぐに “一黒4”、”二緑2”…と振りはじめて、優しく滑り落とした「小」が「3」を示した。

ここまででおよそ30分。もちろん揺らぎはあるけれど、振り始めから、戻したテーブルに盤を置きまた振るまでの一連のサイクルは、初日の22日が大体30~40分、2日目の23日が20~30分で、“元気だとはやくなっちゃうんです” と、23日の朝、PARAの前で本人から聞いたように、そこには石田さん自身のバイオリズムも反映されている。
そして当然、周りのものにも時間の経過は現れており、石田さんの足元に残ったテーブルの脚の跡は、10分もすれば薄く消えていて、サイコロで言えば1、2個くらい、床に転がり始めている頃合いだ。14時過ぎには、横長の窓より日が差してきて、石田さんの右足あたりから、嘗めるように床を滑って夕方ごろには客席後ろの白いパーテーションを照らす。丸椅子の傍らに置かれた飲みさしのペットボトル、その内側でもゆっくりと雫が育っていて、今にも水面へ滑り落ちていきそうだ。パフォーマンスが終わった後のテーブルにも、パネルから出たと思しき木粉が黄砂のように散っていて、指でなぞると跡が付いた。
さらには23日、石田さんの右横に座っていた私の目には黒内朱のお椀の中が丸見えだったが、パフォーマンスが始まって1時間(すなわち、前日から引き続いて6時間)も経たない内から、お椀の底に黒い、長い髪の毛のようなものがいつまでもへばりついているようで不思議だった。その後すぐ、お椀をバンッと叩きつけ、上げた拍子にムール貝の殻を平たくしたような黒いものが盤に現れて底が抜けたと知れた、“髪の毛”はヒビだった。

もしも、これが “普通の” 時だったら、例えば誰かが繰り返しお椀をガチャンガチャンとやっていたら、壊れるよ、と言ったり思ったりするだろうが、少なくとも私は石田さんのパフォーマンスを見ていてそんなことは全く考えていなかった。それは迂闊、と言えば迂闊ではあったけれど、一方でパフォーマンス中が “普通の” 時間、空間でなかったことを示しているように思う。繰り返しになるがパフォーマンス、特にデュレーショナルパフォーマンスは世界の法則をいったん忘れて、思い出していくようなところがある、お椀が割れたことで、お椀は(このパフォーマンス空間においても)割れるものだということが “発見” された。

その発見に伴って、当然石田さんの動きも変わる。例えば底の抜けたお椀にただサイコロを入れていっても落ちてしまうから、はじめ、お椀の底にぴったりと掌を当てるようにして持っていたが、段々と、お椀を傾けて “胴” の部分にサイコロを入れるようになってきて、あたかも上級者が、ポイの端っこで金魚を掬うようだ。左横から見ると、虫歯みたいに寒々しく穴が開いていて、サイコロが覗いている。

サイコロの振り方にしても、開いた右手のひらに賽を載せ、15センチくらいの高さから傾けて落とすことが割と早い段階から確立されていったけれど、時折サイコロを握ったり、手の位置が5センチほどに低く、あるいは、30センチほどに高くなったりもしていた(高くなったのは、たしか22日17時前の1回だけだった)。開いた右手を左側に動かし、親指と人差し指の間から落としたこともあって、覚えている限りでこれも22日の終わり際だった。

それ以上にエスカレートしていったのはお椀の伏せ方で、最初の頃は、賽の塔に載せるように崩していた。そこからサイコロが減っていき、塔が2、3段、すなわちお椀の深さよりも低くなった(故にただ被せても倒れない)頃合いには、少し強めに被せたり、被せた後で左右に振ったりしていたが、段々と強めに被せるようになって、バンッ、という音は、共用部分でつながった【美学校】、その端にまで響いている。そしてその被せ方も、高い位置から徐々に低い位置へ、お椀を持った左手を痙攣させるような最小限の動きで、一発で倒すほど洗練されていった。

                                    北山聖子さん撮影

その時、大事なのはおそらく盤=パネルの存在で、堅牢なテーブルに直置きだったら、椀を叩きつけても、塔(特に2、3段の場合)はなかなか倒れないはずだ。盤はいわば踏切板のような働きをしているし、反響板でもあるのだろう、椀を伏せる音だけでなく賽の転がる音も響く。
タッ、という軽やかな音は「小」で、最大サイズの「黒」はダンッ、と落ちる。その衝撃で、時に「小」は出目を変え、「中」も一瞬浮き上がる。慎重に積み上げた “賽の塔” を崩すことはもちろんだが、ここにも、地震のイメージがつきまとう。そのことについてはディスカッションでちらと話に出て、“パフォーマンス中に地震が起きる” 可能性も考えていたらしい。

“震度” で言えば、サイコロが落ちきったのを確認し、テーブルを横倒しにするあの瞬間が最も大きいだろう。しかしそこには、ある種の清々しさがあって、22日の15時前、盤上に残っていた「中」が落ちた時、天板にはすでに「黒」両方と「大」の3個が載っていて、テーブルが横倒しにされると共に、上に載ったサイコロが全て床へと転がっていった。その時、各目は当然変わっていって(正確に言えば「黒」の内ひとつは「5」のままだったが)、ここまで “劇的” なのはたしかこの1回限りだったが、テーブルを横倒しにする瞬間は、サイコロを一気に振りなおせる好機でもあった。

しかしそこに、例えば出目が変わって “逆転” みたいなことが一切ないのは、石田さん自身 “数字を気にしない” と再三言っていたようにこのパフォーマンスにおいて数字は意味を持っていないからだ(正確に言えば、各面の目印程度には作用しているが、それは別に、「a, b, c, d, e, f」だったとしても変わらない)。もちろん、例えば23日の開始直後、「4, 4, 4」と連続3回出た時には次なる「4」を期待して(実際は「2」だった)、そうした劇的な瞬間を求める気持ちはあったし、同じく23日の12時40分、最後に緑1個が残った時は、ずっと見ていたDPPTメンバーはおそらく皆、声を上げずに叫んでいた。それはパフォーマンスが始まって計6時間弱で、初めてのことだったからだ。

ここでもし、「4, 4, 4, 4, 4, 4」と6つのサイコロが並んだなら、その “すごさ” は大半の人が分かるだろう(何なら赤ん坊でも、「4, 4, 4, 4, 4, 4」と「4, 4, 4, 4, 4, 2」で注視する時間が変わる、すなわち違いの有無は認識している…なんてことはありそうだ)が、緑のサイコロがひとつ残ったすごさというのは、少なくともしばらく見ないと分からない。
それは例えば、卑近だが私は低学年の頃よくポケモンの人形でひとり遊びをしていた。その時、机にお相撲の要領で置いた2体の人形を、交互にぶつけあって “土俵” から落とすのだけれど、勝ちやすい人形というのが何故か生まれて、今考えればお気に入りだったり、持つときに力を込めやすい形だったりが影響していたのだろうが、トーナメント方式でやっているとたまに、いつもは “弱い” やつが妙に優勝したりする。土俵にひとつ、その人形が勝者として残るわけだが、その光景 ― 円形に散乱したおびただしい人形の真ん中に、1体ぽつんと立っている ― を見ても、遊んだことは分かってもすごいことが起きたことは伝わらない。
緑のサイコロが残ったなんてことも、世の中にとっては “些末な” 出来事に過ぎない。ただ、そこにすごさを感じることができるのは、数時間にわたって見ているからで、デュレーショナルパフォーマンスを見ることは、文脈を共有していくというよりはむしろ、各々のスピードで経験則を培っていくことに近い(もっと広く、美術、芸術を見ることも、実はそうでないかと思う)。

22日、(メモによれば)15時51分、サイコロの音に混じってカラン、カラン…という音がする、それが外の愛全地蔵尊の鈴だとすぐに気がついたのは、昨年末、PARAの下見にやってきた石田さんが真っ先にお参りしていたのを見ていたからだ。本人も言及していたように、積んでは崩れるサイコロは “賽” の河原の石積みを連想させて、石田さんは、石を積む子どもと、石塔を壊す鬼を同時に体現していた。さらに言えば、床に落ちたサイコロをひとつずつ、しゃがんでヒョイと摘まみ上げて手のひらにのせる様は、子どもたちを救い上げる地蔵菩薩のようだし、手のひらから落とすような振り方は、赤子を産み落とす(そして先立たれ、その子に石の供養塔を立ててもらう)母みたいだ。石を積んでは崩される…という “小さな” サイクルだけでなく、もっと大きなサイクル、それこそ輪廻までがここには含まれている。

22日17時前、最後の1個だった「小」が落ちたタイミングで石田さんはパフォーマンス1日目を終えた(翌23日はすぐにお椀から賽を振るところから始まり、やはり最後の1個が落ちきったタイミングで計8時間弱のパフォーマンスを終えた)。帰り道、鈴の音のことを話す。石田さんにも届いていたらしく、聞こえてましたよ、と声が返ってきた。


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