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社会人として初めて勤務した大規模社会福祉法人

新卒ながらに担当した部署は

特別養護老人ホーム50床(本館)

特別養護老人ホーム30床(新館)認知症専門棟

養護老人ホーム50床

ケアハウス30床

合計、160名の方への支援を行う部署でした。

以前の記事でもお話ししましたが

3人1組のスリーマンセルで1年間勤務表が決まっている形で

準公務員扱いの給与体系でした。

当時、男性職員も数えるほど、お姉さん方に大変に可愛がられ

もう少し色恋沙汰があっても良かったですが・・・・

今でも覚えていますが当時の夜勤は

3人交代で1時間30分ずつ仮眠もあったため

お姉さん方はシャワーを浴びてお休みするなんてものでしたからね。

いつものチーム外でお手伝いすることがあると

それこそドキドキだったなーと今だからこそ思い出します。

さて脱線しました、話を戻します。

当時は「措置時代が終わる」タイミングで

「介護保険制度が始まる」タイミングだった訳です。

上司は「今からは契約制度だ」「福祉じゃない、サービスだ」

なんて声を弾ませ、移行後は基本「減収」前提の制度移行に備えて

対策だー、備えだー、なんて騒いでいたのは覚えています。

ただ、今だから思えば、現場的には実際に提供しているケアの中身について

「これおかしいよね」って言わずに「これがサービスだ」って

胸張って言ってたなーと。


以下は当時の状況です。

起床は50名を7:00 までに食堂に集合させないといけないので

早い方では4:30には既に起床介助を受けて車椅子で食堂に並ぶ方もいて

そのまま7:30までに全員食堂に集合、皆んなで「いただきます」

3時間座りっ放しだと座位保持もままならず眠気に襲われて

食事が中々手につかず、自分で食べられる人も介助を受けて

本来自分で出来ることも効率化のために奪われていきます。

そしてそのまま入浴へ。

座位保持もままならないのに自分の着替えを膝に乗せて

脱衣室前の廊下に本日の入浴者がズラっと列をなして並ぶ訳です。

そして、お一人ずつ、順番が来ると脱衣室へ入って行くのですが

まず脱衣室で「服を脱がせる職員」によって服を脱がせられます。

そして浴室からは長靴に長エプロンを身に着けた魚屋みたいな職員が出て来て

浴室へ連れて行き、頭と体を洗ってくれる訳です。

大きな浴室に、複数の職員、それ以上の利用者の数でですね。

洗われた後にはザブンと浴槽に浸けて、数分すると、上げられるのです。

そして脱衣室に戻ると今度は脱がしてくれた職員が服を着せてくれます。

乾髪は廊下で実習生がするのがスタンダードでしたね。

あらあら、前文で紹介した超早起きの方。

車椅子上でウトウト、恐らく紙おむつ内で失禁もしているだろうに

順番が回らずに「残念、午後からね」みたいな事も正直あった訳です。

そしておむつ交換だって定時の交換以外は受け付けません。

食事だって「食べる」でのはなく「入れる」。

味の良い悪いなんてことは判断基準としては学びません。

従って、「良い職員」の定義は「早い職員」「手際の良い職員」

だから上司に見習いなさいと言われるのはそう言った先輩になります。

そして思い出したい大切なこと、その当時の「ターミナルケア」について。

覚えている限り「はっきり言って皆無」でした。

ご利用者の亡くなる場所は余程の事が無い限り

間違いなく医療機関であり「何かあればそこに送るまで」

それが私たちの仕事、それが慣例であり、教育として習った事でした。

嘱託医とのコミュニケーションにもほとんど参加した事がありませんでした。

でも、その当時の良かった点。

私ら職員の待遇はとても良かったです。

給与は準公務員扱い、休日も年間140日程度ありましたし。

何より「ケア」ではなく「作業」であったので

思考回路は、やるべきことは単純明快でした。

ご利用者においては普段は自由は無いですが

行事は手厚かったです。1泊旅行等も出かけていましたし。

これらはあくまで「当時」の話です。


しかし、今の令和の世においても

今もまだこの↑のままの事業所があるとか、無いとか。


そして「介護保険制度」はこのような現場を裏腹に

幕開けを迎えたのでした。


そんなこんなの環境下で約3年間。

一人暮らしを満喫し、妻との結婚を機に他地域へ。

この仕事の本質に迫る機会を与えられることになります。

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