「自宅で過ごす時間」に拘ってますか?
「家に一人で置いておけないからデイサービスを使わせたい」
「家にいたら何するか分からないからショートステイに行かせたい」
本人不在のサービス利用ありきの御用聞きケアマネ介入の介護保険利用開始は
その先サービス利用増による自然破綻に繋がり易い、と思っている。
あくまで自分の経験談ですがね。
本来、心身の不調や、し辛さがあって介護認定を受けるとして
「適応力」というものは「判断力」と共にどうしても鈍っているもの。
その状態で生活の”主”である自宅を離れて過ごすことで
解決していない課題と不適応さが更に増す事によって
益々自宅で過ごせなくなる。
そして家族の代替えでサービスを入れるという視点は
強く言えば家族の役割を失わせてしまう。
それと同時に本人の自宅や家庭での居場所もね。
それは本当に「レスパイト」なのか?ということだけどね。
この場合の前提はゴールは「入所」になる、おそらく近い将来直ぐなるよ。
確認。
その方ご自身の意思決定があって
そのために何を解決して、どのように組み立てるのか。
家族の役割も認識しつつ、どのように力を引き出していくのか。
サービス利用は手段であって目的じゃない。
目的は可能な限り本人の意思決定支援、のはず。
「地域包括ケアシステム」は
「住みなれた地域や自宅でできる限り生活し続けること」
私たち介護保険制度の重要な役割を担う介護支援専門員が
率先して自宅や地域から要介護高齢者を連れ出して
自宅適応力や自宅での生活継続の可能性を奪っている現実があり
その根っこは国民自身の「介護ってこんな感じ」と言うものの考え方が
2000年以前、措置時代から変わっていない、と言うことだと思うんだな。
やるべき種蒔きとは何ぞや、そこに自分自身の今後の役割があるように感じる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?