自分の中に常にある問い ヒロインの旅

家庭に留まることも、
「自分達の母のようになること」も望まず、
あるいは攻撃的になることも、
「男性のようになること」も望まない女性にとって、
男性社会の中で1人の女性であろうとすることはどんな事を意味するのか。

女性の誕生

常にこの問いは子供の頃から頭にあった気がする。

でも、まぁ、うっかり結婚も経験したし、
子どもも産んだ。
今もわいわい育てている。


まずはわたしの性質


・恋愛などの「女性」でいることに、優先順位が低め
・友達多い。男性との友情は成り立つ派。
 誰がなんと言おうと、わたしの経験ではそうなのだ。
・大体性別関係なく、人として好きかどうかが基本
・美容は好き。だけど、自分のポテンシャルを最大限伸ばす系の土台を整える範囲のもの。
・ファッションも好き。でも、自分が着たいものを着るタイプ。
・子どもの頃から40歳になってもおてんば。


わたしのざくっとした流れ

結婚し、「母のような母」にならなければと
知らない間に頑張ってた。約10年間。

その後、義母の過干渉で心身を病み、
当時の夫は「オカンの顔色が上」と、言い切ったので離婚。
※決断したポイントは自分のこと一番大事にしてくれない人を一番大事にする関係性なんて要らない。

現在、バツイチ子持ち。
元夫とはふつーに仲がいい。
パートナーではないが子どもの父親として存在している。
なんなら、仮面夫婦よりフツーに仲がいい。

今の状況は人に話すと、
え?理解できない。
どーゆーこと?って言われることは多いが、
わたしの中で明確な線引きがあるから、
めっちゃ普通に平和。
別に人に理解されなくてもいいと思っている。

パートナーとしての認識ではなく、仲間。
子どもの父親としての役割を100%やれよって
思ってるだけ。
恋愛感情は全くないが、
人としては好きなである。
笑いの頭の回転がいいところはとてもいいと思う。
この人が子どもの父親でよかったと思ってるポイント。

今この時間においてなんの怒りもない。
ただ、過去の許せないことに関してははっきり伝えているし、今も許していないことも伝えている。
ただ、それは夫婦だったとしたら絶対許さない!!!っていう火種であって、もう夫婦じゃないのでどーでもいいのです。
※時々、それでも過去のことで私がブチギレる地雷はある。半年に一回くらい、ブチギレる。

私は、「女性に生まれてしまったこと」をずっと後悔してた。

子どもの頃はおてんばだろうが、
賢かろうが、
好きにやっていても割合平等の評価基準だったはずなのに、
歳を重ねるごとに女性は
狭い狭い籠の鳥になってしまうようなイメージだった。
しかもそれは、しょうがない。
受け入れるしかない。
と、どこかで諦めなければならないと
無意識で思っていた。

頭の中では
女性である肉体を無視して「男」として生きるか
自分が自分でいることを押し込めて「女」として生きるか。

その二項対立になってしまっていた。

だからこそ、
最初の問い、


家庭に留まることも、
「自分達の母のようになること」も望まず、
あるいは攻撃的になることも、
「男性のようになること」も望まない女性にとって、
男性社会の中で1人の女性であろうとすることはどんな事を意味するのか。

は、実現可能か?

うっかり、自分が自分でいることを押し込めて「女」でいることを選んだ。
「妻」になり
「母」になり
つまりは「嫁」になってしまったとはいえ、
その可能性は絶対諦めたくないものだったのだ。

人間どーせいつかは必ず100%死ぬわけだから、
自分なりの答え、探す旅も悪くない。
諦めなくてもいい。と思っている。

明確な答えはないが
現時点の私は、
その意味がどうかはわからないが、
そのあり方は実現可能だと思っている。

流れの変わる今の時代、
こういう実験するにはもってこい。




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