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失敗への恐れ

失敗への恐れ

先日ちょっとしたヘマをした
(ちょっとでも無いけど…)

義理の実家の車を擦ってしまった(やばい)

その時に、ものすごい一瞬でへこみ塞ぎ込む自分がいて、感情のコントロールが効かなくなった

ごめんなさい
だから私ってダメなんだ
やっぱり何をやってもダメなんだ
生きているだけで人に迷惑をかける
だったら最初から他人と関わることを諦める
1人で孤独に生きる方がいい
消えたい、死にたい、
失敗は許されない
責任を取らなければならない
責任とって切腹!!!

みたいに、
ひとつの失敗から一瞬で自分を責め込みゴロゴロゴロ〜と切腹にまで追い詰めた

余計な観念フィルターを少しずつ外したおかげで、やっと物事をそのまま見られるようになってきたけど、

この一連の切腹までの流れを、
きっと約30年"無意識"で日常的にやっていたのだなぁと感じた

そりゃ常に緊張状態で肩が凝るよな、と

【失敗】した、
と思えるような出来事を起こした時
それと全く無関係な記憶が出てくる

私の中でよく出てくる記憶は
2.3歳の頃、私が米びつからお米をジャーとこぼしてしまって、母が泣いてしまったという記憶

あとは何かお味噌汁とかこぼした時
「大丈夫だよ」といい仲ながらも、
表情が怒ってるという
言語と非言語の不一致というのが当時はすごく怖かった

その時の私は
私という存在は母を悲しませるらしい
人を傷つける人間だ
最低な人間だ、私の存在は迷惑だ
私は生きている価値がない
というのをぐるぐる雪だるま式に膨らませ、

失敗する=自己無価値観
というように結びつけていた

米びつの記憶はこれまで何回ももう癒してきたものだったけれど、
ふとした拍子に何度も顔を出すのだなぁと改めて。
小さいが故に理解が追いつかず歪んだ観念を形成する。

ちゃんと気づいて、
改めて小さい頃の自分に
今の私が寄り添って
欲しかった言葉をかけてあげる

その事自体、本当は大したことじゃ無いよ
こぼしたら拾えばいい、拭けばいい
それだけの話だよ
イライラの原因は他にあったみたいだよ
あなたの価値とは無関係だよ
これからは何があっても
あなたのことを責めないし、
どんなこととも無関係にあなたには生きる価値がある

十分悲しんだろイライラしたり起こったりを体感して、

そして出し切ったら過去の自分を癒しに行く

結果として
今に戻ってきた時、
自分のことを責めてるのは自分だけだったことに気づく

本当にアホみたいに誰も責めてない
誰でも失敗するよ
大したことじゃ無い
それくらい平気だよ
くらいの感じだった

ほとんど自分の妄想だったのだ
実際の周りは優しい人ばかり

子供も夏休みだし
疲れてたんだなぁ
よく頑張ってたんだなー
ちょっと疲れてたんだなーと
自分を労って
(ちゃんと反省して)
他人に甘えて休む時は休む。

妄想暴走状態の私は
失敗→切腹→車弁償!
という判断をしていて、
これは【恐怖】からの選択ということになる。

恐怖から選択をするとまた新たな苦しみを産む。
許し(愛)からの選択をすると、
もっと穏やかな判断になるだろう。

物事ひとつとっても
自分がどんな感情から選択をとっているか、
注意深く、丁寧に生きて行きたい。

#自分のための
#アウトプット
#日記
#反省

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