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怒りの恩恵

【感情】

女性性との向き合い

感情との向き合い

とくにずっと押し込めてきた
自分の怒りや悲しみの感情

まだ言語化が追いつかないけど、
感覚として
少しずつ腹落ちしてきたものがある

最近は不自然なことをやめ、
できるだけ自然体でありたいと思いながら生きているけれども

自己を解放するとともに
あらゆる押し込めてきた感情も出てきて、
自分が泣いたり怒ったりすることがすごく嫌だった
コントロール効かないことが怖かった

感情的に怒ったり泣いたりする自分は
これまで見たく無いと思っていた自分なのだろう
怒ったり泣いたりしては行けないと思って
生きてきたのだろう

だからこそ、
溜め込まず出てきてくれた感情を少しずつ受け止められたらいいなと思いながら日々過ごし

少しずつではあるけれど、
怒りや悲しみに
反射的にすぐ蓋をしようとしたり
否定しようとしたりすることが
少しずつ薄れてきたように思う

罪悪感も少しずつ和らいでいる

これまでずっと 
自分の女性性に抗って生きてきたわけだけど

この感情の起伏こそ
まさに女性的なものであったのだ

そして女性性はつまり、
私の愛する
"自然"そのものだったのだ

地震などの自然現象自体に善も悪もなくて
人間がその偉大なる自然に飲み込まれたならば、
ただただそれを受け入れるしか無い 

そういう自然のリズム、波そのものが女性性
全てのものが波の中で生きているということをただただ受け入れる。
太陽がのぼり沈むこと。生まれ死ぬこと、すべて。
その中で生きているということに抗う余地がないということ。
 

コントロールが効かない恐怖というのは
ある意味自然に対する恐怖心にも似ている

それだけこれまで抑圧されてきた女性性というのは大きな力があるものなのだ

だから今の自然に逆らった
男性性優位の権力構造の世界では
どこかに歪みが生まれるのは当然のこと

女性性という自分の大いなる自然を否定して生きてきたのだから
心身に不調が起こるのは当然のこと

月のリズムと共に生きる
生理前は機嫌が悪くなるし食欲が増すし眠くなる
多少の改善はできても
1ヶ月同じペースでは生きられない
それに無理に抗うと身体を壊す
身体の声を聞いて、それらの波を受け入れて生きる
身体という自然物の声を聞きながら生きる
声無き声に耳を澄まして生きる

女性の生命そのものが、
まさに自然そのものであり
どうこうしようとせず
何もかも許して受け入れ共存していく

そう言うことを考えていたら
怒ったり泣いたりしてしまう
不甲斐なくてだめだと思うような自分も
とても自然的に人間らしく
生きられるようになってきたということかなぁと思う。 

善悪のジャッジは不要だったということがわかる

主にそれらの感情を出してくれるのは息子である。
感情のままに生きる人間を目の当たりにして
私も生き直しをさせてもらっている

自分がいくらだめな母だなぁと思おうが
「お母さん大好き」と言ってくれる

子どもから親への大きな愛には頭が上がらない。
育てられているのは、愛されていたのはこちら側だったのだと日々思い知る。

入園式早々風邪でお休み。
残念だったけど
去年一年はほとんど幼稚園休むことなく通ってくれていたんだよね。
ありがとう。

怒りの奥には必ず大事なメッセージが隠れてる
最近の私の怒りの根源は
「もう誰のいうことも聞きたくない」
に集約される気がする 笑
30代の反抗期…笑

#日記
#記録
#自分のための
#アウトプット

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