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真逆のこと

【真逆のこと】

今の私は、これまでの人生と"真逆"のことをやっている

やってこなかったことをやっている
1番苦手だと思っていること
見たくなかったこと、
やりたくないと思っていたこと
できれば一生関わらないでおきたいと思っていたことをやっている

でも嫌々やってるのではなく
ここ一年、死ぬほど自分と向き合うぞと決めて、自分にとって今必要があると感じて。
一瞬しんどいものが出てきたりするけど、
ちゃんと向き合うと一歩ずつ身体が軽くなっていく実感がある。

これまでと真逆の2つのこと、

ひとつは"女性性"
男性性優位で、女性性を潰して生きてきた。
女でも男でもない宙ぶらりんな感覚で生きてきた。
ここ一年自分と向き合う中で、今年になってから突然、いくら心の中で自己受容したところで肉体が置いてけぼりになっていることに気づいた。心と身体が分離していた。
自分がなるべく関わりたくない触れたくない見たくないと気持ち悪いと最も思っていた部分と真正面から向き合うこと。

それから、"言語化"
これまでなるべく自己開示しないように、
なるべく喋らないようにと、
自己表現、言語化いうものに
大きな苦手意識があった。
言葉というのはなんて不自由で不便なものなのだろう、誤解や争いを産むものなんだろう、と感じていた。
言葉にできないから、唯一の表現として絵を描いていたのだろう。
今は、全て自分の中に留めておいたものを
出てきたものを純粋に、できるだけフィルターをかけずただただ自分のためにアウトプットするということをしている。

女性性も、言語化も、
最も苦手な部分であって
自分の中の1番だめなところだと思って生きてきた(無意識に)

そういう自分で負だと思っていること
自分の影だと思っていることが、
逆に鍵になってくるようで、
そこに面白さも感じている。

嫌だなー
覚悟がいるなー
ここを避けてれば楽なんだろうなぁ
でも避けたら避けたでつまんない人生なんだろうなぁとか考えつつ、
ちゃんと向き合うと、
今の私がどんどん生きやすくなっていくのがわかる

言語化はどうにかなっても
女性性の方は本当に物心つく前からの嫌悪感と深い自己否定があったので、
向き合おうにも何にも本当にさっぱりどうしていいかわからず、お手上げ状態だった。

自分の中で、キーワードがはっきりあるのに、ここがポイントだと確信があるのに、具体的に動けないもどかしさがあるとき、
たまたまアースカフェに行った時に
魔法の如く突然目の前に現れた女性性の象徴のようなみほさん。
以前から存在はownpのイベントでお見かけして一方的に知っていたけど、自分とは無関係の所にいる人だと思ってた。
自分の中で色んなことが点と点で繋がり、ジャストタイミングで私に向き合う機会を与えてくれました。

わたしも一歩踏み出すのに
言葉にできないくらい相当の覚悟が必要だったけど、みほさんのような生き方は本当に心底肝が据わってないとできないことだなぁ、かっこいい人だなぁと思う。
人から嫌われる勇気のある人。

ピンク色を見ただけでウッとなる私にとってはどぎつい世界かなと思って(失礼)踏み入れた世界は、とってもナチュラルな心地いい空間でした。

(そもそも身体というもの自体が自然の最たるものなのだから、それを大切に思う人だから当たり前なのだろうけど。)

性について、タブー視せず、生命と世界と切り離さず、普通に、色んなものの延長でオープンに話せる場所があると言うだけで、少しずつ心が癒されていくのを感じました。

先日はチャクラのお話を聞かせてもらって、
エネルギーの流れの根本が滞っていたから、
そりゃ人生雪だるま式に問題が大きくなりハードモードになるよなぁと理屈も含めて納得。

自分の手、自分の足、と当たり前にあるような感覚が、
自分の身体の女性の部分には無くて、
自分のものでは無いような感覚、
完全に心と切り離されていたことに気づいた。

自己否定の根っこがここに辿り着くとわかってたら、嫌すぎて行動できてなかっただろうなぁ…。
自己受容の道のりは本当に人それぞれだと思うけど、私の場合は、性の否定が自己の否定にかなり深く根強く結びついていたんだなぁとしみじみ体感している。

今の時点での感覚としては
"男か女かということはあんまり関係なくて
カテゴリ分けは必要なくて
生まれ持ってきた宝物である身体という最たる自然の贈り物を、
心身ともに、そのままあるがまま
隅々まで肯定すること"
そう言う感じで自分が腑に落ちている気がする

私はたまたま性にぶつかったけど
性に関わらず

自分の生まれ持ってきたもの
性格や性質とか身体の特性とか全部含めて 

自分以外の形に当てはめようとするのでは無く
まるっと自分のことを隅から隅まで否定せず
全て受け入れて、
最大限に生かして生きていくことで
ひとりひとりがとても生きやすくなり優しい世界になるのでは無いか。

"せっかく生まれ持ってきたものなのだから"

自分のある部分を否定してると
他人の同調する部分が目につくようになるし

だれもが自分に集中して
自分のことを大切にしていくことで
誰のことも批判せずに済む

欲って悪いものと思われがちだけど
生命としてすごく生存と密着した根源的な欲求であって
食欲睡眠欲性欲と
どこか満たされないところがあったらバランスが崩れるのは当たり前だなぁと思った

思春期の頃摂食障害になった理由のひとつに
自分の女性の部分を否定して抑圧していたから、食に当たり散らかしてたのかなぁ
ということも気づいたりした。
(原因はそれだけでは無いが)

初めは自分の身体に意識を向けるだけで
軽い吐き気や気が詰まる感じ、
息苦しさ、意識が遠のく感じがあったけれど
目を逸らさず向き合うことで、
最近になって、気持ち悪い!と思うことがほぼ無くなっていることに気づいて、
すごく喜びを感じた。
喜びというか、何も余計な観念が張り付いてなければ普通はこうだったんだというような驚きのような感覚。

嫌だ嫌だと逃げてきたものをちゃんと見てあげたら
はっきりきっぱり腹決めて向き合ってみたら、
あれ、案外大丈夫かもと思ったりして。

見たくないものに蓋をして隠して
見ないように見ないようにして生きてきたからこそ、逆に
どんどん自分の中で負のイメージが拡大してしまっていたのだ。
お化けも見えそうで見えない感じが1番こわい。

ちゃんと恐れを超えて見てあげれば大丈夫。

自分の心と向き合うことと同様に、
自分で自分の身体を理解していくことは、
自分への愛だと思う。

他人にもそのまんまでいいよ、大丈夫だよ、素敵だよ、と言いたいから、
まずは自分のことを心底受け止めていこうと思う。
焦らず土台作りをしていこうと思う。

#記録
#日記
#自分のための
#アウトプット

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