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母の日


夫に義理のばーばの母の日買ってきて〜とお願いしたら
私にもプチ母の日おやつを買ってきてくれた
あ、母って私のことか!ありがとう
と受け取った

顔アトピーがあるので
なるべく甘いもの控えてて
(喜ぶし食べるけど)

度々夫にも伝えて、
何度も聞いてると思うんだけど、
夫は度々甘いものを買ってくる笑
(結構な頻度で)

その経緯としてはおそらく

自分が甘いもの食べたい
→自分だけ食べるの申し訳ない
→私にも買っていこう

という感じで自分のついでによく買ってきてくれていると思うんだけど

少し前の私なら、
(この人控えてるって何回言っても買ってくるな?話聞いてんのか?)
と思っていたと思うけど

今はその気持ちが嬉しいので
素直に喜んで受け取れる

夫の常々のスタンスとして
"俺が"こうしたいから
"俺が"食べたいから
と自分がいつも主語であるところをいいなと思っている

これは前は嫌いだったところでもある 

前は全然人の気持ちのわからない人だな〜
自分のことしか考えて無いな〜
と悲しくなったりしてたときもあったけど

自分を主語にしている人は
見返りを全然求めていない

一方少し前の私はとても自己犠牲的で、
人のためにばかり動く人間で、
それは子供の頃からの染み付いた癖で
無意識だったのだけど
いつのまにか見返りを求めて恨みつらみを
溜めていたのだ

今は自分を主語に
人を巻き込むことであったとしても
私がやりたいからやる、
私が嫌だからやらない、行かない。

主導権を常に自分に持つことで、
責任を伴うが自由も手に入れられるし、
自己犠牲をしない為見返りも求めないから
恨みつらみも溜まらない。

散々自己犠牲的な生き方をした挙句、
体調を崩したおかげで
昔は冷たいなと思っていた夫の優しさを素直に受け取れるようになった

夫は自分が甘いもの食べたいから買ってきてくれて、
私にもいつもお裾分けしてくれて、
それでいて私が受け取るかどうかはこちらに任せてくれている。
だからその後私がそのお菓子を食べようが食べまいがどちらでもいい、という感じ。
(結局目の前にあったら欲に負け食べるけど…)

少し前の私はプレゼントとかを選ぶことがとても苦手で、
それはわかるはずのない受け取る相手の気持ちを散々妄想していたからだ
「こんなものあげて喜ぶかな?迷惑かな?使わないかな?気を使わせるかな?」
とごねごね考えているうちにプレゼント選びに疲弊してた。

夫スタンスで行くと
「俺がこれをあげたいからあげる」
以上。でおしまい。
そのあとの余計なネガティブ妄想は無い。

相手の本当の気持ちなんていくら考えたところで本当の意味でわかるはずが無いのだから、これくらいでちょうどいいし、もらった方も気持ちがいい。

日頃の何気ない関わりや、コミュニケーションにも全て通ずることだと思う。

自分を主語に行動し
相手の受け取り方は委ねる

自分にもどういう受け取り方をしてもいいと許可すると
相手のことも信頼できるようになってくる

相手の選択は相手のもの
自他の境界線をしっかりと引く
自分の幸せに責任を持つ

#母の日
#思いつき
#アウトプット
#ありがとう

未熟な母だけど、
全然母に向いてない人間だけど、
母にさせてくれてありがとう

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