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【第5回】 迷いに迷った1年半、活動を志すまで

 毎度noteをお読みいただきありがとうございます。全7回くらいと見込んで始めたこの企画も、もう残り3回となりました。すでにもうあきあきされているかとは思いますが、せっかくですので最後までおつきあいいただければ嬉しいです。

 さて、脈絡のない話となりますが、ラテアートをご存知でしょうか。たまには若干スタバっぽい話をします。
 
 エスプレッソショット(圧縮して抽出する強い苦いコーヒー)に、空気を含ませた温かいミルクを注ぎ、最後にミルクで作った泡の部分を上に乗せるのが一般的なカフェラテなのですが、その泡でひと遊びするのがラテアートです。よく泡で猫を作ったり、芸術的なリーフを描いたりします。

 その基本がラテハートといい、ミルクをうまくそそいでコーヒーの上にハートを作ります。僕もスタバ時代結構練習していました。ただ、手先が不器用でうまくできたのは片手で数えるほどでした。

 実は今日のサムネは、これまで僕が作って失敗を繰り返してきたラテハートの写真たちです。味は変わらないので毎度美味しく飲んではいるのですが、なかなか難しいものです。

 いろいろ言いましたが、いきなりなぜこんな写真たちを持ってきたかということを一番話したかったのでした。きょうは悩みに悩んだ1年半のお話なのですが、毎日の僕の頭の中が作っては失敗を繰り返すラテハートのようだったなと思ったからです。

 いずれにせよ、今回のお話はダイナミックな話ではないので、なるべく短く、かつ関係ない話を加えて楽しく読んでいただけるように書いていこうと思います。


進路も生き方も迷っていた

 復学をして3年生を迎えたある日、先生からジュマ・ネットのお話をいただいたことは前回の記事で書きました。そこから、約1年半考え続けることになりました。

フェアトレードやエシカルも結構関心があり、大学の後半はいろんな活動に手を出していました。

 悩んでいた理由は今となってはあんまり論点適切ではないなと思うのですが、主にキャリアとしての選択、生き方のスタンスとしての選択、どうなるかわからない未来への不安の3つがあったような気がしています。

 当時は現地にいることにすごく心地よさを感じていたこともあり、国際NGOのスペシャリスト的なキャリアに憧れを持っていました。特に前回も書いた通り赤十字国際委員会(ICRC)に関心が強くありました。それはつまり、キャリアとして国際機関や国際NGOを転々としながら活動していくキャリアを意味していました。

色々迷いながらも、現地のことを伝えたり調査することは結構好きで繰り返していました。

 一方で、ジュマ・ネットはそういったキャリアとは異なることは明白でした。そもそもこの先どうなっていくかわからない中で、自分で考えて活動を作り出していく力という、違った技術が必要です。

 とにかく大学3年生や4年生の時は考えていました。自分の目指すこと、やりたいことは何なのかをひたすら書き出したり、マインドマップを作ってみたり、読んでも全然理解できないけれど哲学書を読んだり、いろんなそれっぽいことをしていました。考えに考えた結果、わかったことは2つでした。

 1つ目は、夜中に考え込むとだいぶやばいということでした。この1年半の中で数回、夜中に考え込みすぎて閉塞感におそわれて、このままどこか全く違う世界に飛んでいってしまえと変な感じになりました。その後、急に気持ち悪くなってトイレに駆け込みました。そうなった時の僕の処方箋は、クレヨンしんちゃんでした。何気ない日常のしんちゃんを見ていると、だんだん気持ちが落ち着いてきます。今でもかなりの頻度でクレヨンしんちゃんを見るのですが、おそらく純粋な娯楽ということと同時に、安心感や安定感を得るための薬的に見ているかもしれないなと思います。やっぱり夜中に考えるのは良くないです。

 2つ目は、好きなこともやりたいことも、経験からしかわかることはないな、ということでした。どこかに自分が本当にやりたいことがあるのではないか、いつかドンピシャな関心が見つかるのではないか、そう思って答えを探し求めていました。しかし、わからないものはやっぱり分かりませんでした。結局、それは過去の経験に頼るしかありません。あの時こうして嬉しかった、あの時すごくエネルギーに溢れていた。そういったことからしか、やっぱり見いだせないんだなと諦めました。その諦めは同時に安らぎのようにも感じました。

最後の決め手

 これだけ考えて、結局はクレヨンしんちゃんが自分にとって大きな存在だったということがわかっただけなのですが、それでも窮屈さが少し解けた感じもあり、ふと軽くなる瞬間がありました。

 そこで湧き出てきたのは、2つの考えでした。

  • とにかく後悔をしない選択はジュマ・ネットだということ

  • 自分が大事だ(倫理的にこうありたい)と思ったことに対して、そのために行動することができる環境でありたい、ということ

 あれだけ考えていたのに、最後はこのすごく曖昧で根拠もない感情によって、ふと心がきまりました。なぜ決まったのか、再現性はないような気がしています。

 でも、やる気になったのでした。結論が出ると、いったいあの1年半はなんだったんだという感じなのですが、きっとこのやけにシンプルな回答は、1年半があったからこそ落ち着いたのかなと思っています。(そう思っていなければやっていられません)

 そして1年半の時を経てジュマ・ネットに参画する意思を伝え、いよいよ本格的に活動に打ち込むことにしました。その時点で既に大学4年生の12月。これは余談ですが、気付かぬうちに卒論提出はあと1ヶ月後に迫っていて恐怖でした。

一応卒業できたようで、下澤先生と記念写真。コンタクトもせず、髪も寝起きのままでいったことを今では後悔。

チッタゴン丘陵地帯で何ができるのか

 こうしてやっとこさ活動を始めた私でしたが、(卒論はなんとかなりました。)いざ活動を始めてみて、ジュマ・ネットの活動地であるチッタゴン丘陵地帯の課題の深刻さをだんだんと理解するようになっていきました。

 その後、コロナ禍でなかなか現場にいける機会に恵まれなかったものの、2022年の8月〜9月、2023年の3月末〜5月とやっと現場に行けることになりました。ジュマ・ネットに携わる前に事業地を訪れたのは1度だけだった私にとって、人間関係も現地の勘も、ほぼ一からのスタートでした。こうして滞在を繰り返す中で、チッタゴン丘陵地帯の独特の魅力に惹かれると共に、非常に抑圧された現実も知っていくことになりました。

ジュマ・ネットが行う紛争被害児童支援の子どもたちとピクニック。

次回予告:挑戦してわかった、民族対立現場の独特の難しさ

 


 こうして1年半のトンネルを抜けて活動を始めた私ですが、次に直面したのは民族対立の現場を取り巻く大きな課題の構造でした。それは予想以上に深刻で、無邪気に動けば人を危険に巻き込んでします恐れもあります。

 次回は、現場で感じた民族対立の難しさをリアルにお伝えできればと思います。かつて長く内戦が続き、今も低強度紛争地であるこの場所で活動する難しさ、その政治性に関しても、分かりやすく書いてみたいと思います。

 7回くらいと見込んで始めたこの企画も、もうあと残り2回となりました。残りも心を込めて書いていきますので、ぜひお付き合いくだされば嬉しいです。

今回もお読みいただきありがとうございました。

また次回も読んでくだされば嬉しいです。

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