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【第6回】 挑戦してわかった、民族対立現場の独特の難しさ

 これを読んでくださっている皆さまこんにちは。全7回で企画しているこのヒストリーも残すところあと2回となりました。第5回では、悩みに悩んで決断をしたところまでお話が進みました。その後デングの回を挟んだためやや時間が空いてしまいたが、再び連続企画の本編に戻ってきたいと思います。
 
 残りの2回では、実際にジュマ・ネットで活動を始めたからこそ分かったこと、難しさ、大切だと改めて感じたことを書いてみようと思っています。

コロナ禍を経てふたたびバングラデシュへ

 コロナ禍でなかなか渡航ができなかったものの、昨年の夏に再び行けるようになり、その後も春、そして先月と渡航し、ルール的にも往来の障壁は限りなく以前と同様になってきました。

事前のPCR検査や入国時の健康状態報告なども撤廃された

 ジュマ・ネットが活動を行っているチッタゴン丘陵地帯は、バングラデシュの首都ダッカからだいたい300kmほど。日本であれば新幹線でサッといける距離ではありますが、ここはバングラデシュ。だいたい、夜行バスで8時間〜9時間ほどをかけて向かいます。

 多くは21時から23時ごろにかけてバスが発車していくため、基本的にはゆっくり寝て過ごしたい時間です。ただ、でこぼこ道やカーブが続く道ではなかなか寝付けないこともあり、その時次第な感じもあります。その間、途中休憩が1ヶ所あり、トイレや食事の時間がとられています。大体夜中の1時や2時ごろになることもあるので、僕はうとうとしながらなんとなく過ごすのですが、バングラ人は結構ちゃんとレストランに入ってしっかり食べています。そのあたりの体力はすごいなといつも思います。

 そして朝方にチッタゴン丘陵地帯に到着します。一晩ずっと気を張って移動してきた疲れはありながらも、仲間や友人たちとの再会に元気が出てきます。

自然に囲まれ、無意識に心が解放されていく感じがあります

 昨年の夏、そして今年の春の渡航でまずやりたかったことは、現地のリーダーたちへのヒアリングでした。チッタゴン丘陵地帯の平和の状況をどのように感じており、その促進のために何が必要だと考えているか。それらを現地の視点で把握することがまず最初にすべきことだと思っていました。

 そして、実際にリーダーたちとの面会を重ねていきました。伝統的に統治を続けてきた王様(イギリス植民地時代まで統治をおこなってきた)、1997年に和平協定を締結した政治家リーダー、平和への活動をおこなってきた市民リーダーなどです。

 面会は無事行うことができ、渡航の目的は果たすことができました。ただ同時に、この問題に関わることの難しさを感じる機会でもありました。いくつかのトピックに分けて書いてみたいと思います 

民族対立や紛争地で活動するむずかしさ

軍や政府による圧力

 まずNGOとして活動する立場としては、当地域に関わること自体に対する難しさがつきまといます。チッタゴン丘陵地帯は長期にわたって内戦が続いた地であり、政府と少数民族側の和解後もさまざまな問題が積み重なっている地域です。特に軍による抑圧や人権侵害、そしてジュマ同士の内紛が現在の深刻な問題です。

 こうした状況においては、政府や軍としては外国人の入域を避けたいモチベーションが働きます。国内の他地域と比べて圧倒的に軍事施設が多いチッタゴン丘陵地帯では、軍による土地収奪や人権侵害も大きな問題になっています。そうした不都合な事柄を隠すためという動機もあるでしょう。

 そのため、常にチッタゴン丘陵地帯に入域できるとも限りません。特に今年はバングラデシュ総選挙が年末に迫っていることから、夏の渡航時には入域は叶いませんでした。

 常に政治的な緊張感と駆け引きの中に置かれる地域であることを普段の活動からも感じます。ただ、こうした状況こそがジュマ・ネットが活動する大きな理由の一つであるため、うまくバランスをとりながら振る舞っていく必要があります。

少数民族も一枚岩ではない

 もう一つの難しさは、ジュマ同士の関わりの中にもあります。現在、ジュマの内部での分裂と内紛が深刻化しています。以前は1つであった少数民族政党は、分裂を繰り返してきました(下記表を参照)。そして、互いに誘拐や殺害を行っているような状態です。内紛の結果、ジュマ社会全体が弱体化していく事態となっています。

  平和のためには、まず何よりこの内紛を乗り越える努力が必要です。しかし、そう簡単ではありません。

 これまで私も両政党のリーダーや若者たちと面会をおこなってきましたが、敵対意識は根強いと感じています。また活動を行う者の立場としては、各勢力との距離感のバランスも非常に重要です。どこかの勢力と親密になれば、それ以外の勢力からは「あいつは〇〇側についているんだ。」という色が付けられかねません。決して意図的ではなくとも、ひとたびそういった捉え方をされてしまうと、活動上の難しさや自らの安全上のリスクにもつながります。

政治的な緊張感だけでなく、日常の穏やかさも確かにある。愛着を感じる一因かもしれない。

 ただ、「手を取り合おう」という動きだけでは、きっと解決は難しいでしょう。事態が硬直化を強めていく中で、これまでの既存の方策や、歴史にとらわれない動きが求められています。そういった意味では、現地での情報収集や関係性の変化を図る一方で、同時に視野を広げていく必要も感じています。例えば、似た構造を持つ民族対立や紛争を乗り越えた事例はもちろんのこと、対話やファシリテーションなどのソフトスキルにも関心が高まっています。こうした意味でのバランスもとりながら、現地を中心に考え続ける挑戦を続けていくつもりです。

次回予告: <最終回>”ジュマ・ネット”で挑戦していく理由

 

 今回もお読みいただきありがとうございました。初回に比べてだんだん真面目な語りになってきてしまっているなと若干の後悔がありますが、興味深く読んでいただけていたら嬉しいです。

 次回が最終回となります。最後は、なぜ活動を続けていこうと思うのか。僕の思いと未来について書かせてください。おそらく、少しまとめるのに時間がかかると思います。というのも、実は直近で、僕が活動にのめり込んだ18歳の頃に訪れた「はじまりの地」を再び訪問できるご縁に恵まれたからです。

 その場所で、今改めて何を思うのか。これからの自分にどんな思いを抱くのか。それを確認してから言葉に残したいと思っています。

今回もお読みいただきありがとうございます。あと一回、最後まで読んでくだされば嬉しいです。

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