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BTS "바다(Sea)" 今、見えている景色が何であるかを考える~日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.022

海、砂漠、世界
全ては同じ 異なる名前
僕は海を見、砂漠を見て、世界を見る
全ては同じでありながら
異なる呼び名と共にある

바다(Sea)


何とか歩いて海に来たね
この海で僕は浜辺を見る
無数の砂粒と吹き荒ぶ風
変わらず僕は砂漠を前に
海をこの手に入れたくて
その全てを飲み干したよ
なのに以前より喉が渇く
僕が通った所が本当に海なのか
それとも青い砂漠なのか
僕はわからない

僕はわからない わからない
僕は今波濤を感じているのか?
僕はわからない わからない
まだ砂嵐に追われているのか?
僕はわからない わからない
海原なのか 砂漠なのか
希望なのか 絶望なのか
本物なのか 偽物なのか 畜生

僕は知ってる 知ってるよ
今の僕の試練を
僕は知ってる 知ってるよ
勝ち抜くことを
僕は知ってる 知ってるよ
僕こそ君の拠り所だという事を
良い様に考えて 固唾を飲んで
不安でも 砂漠だとしても
美しきナミブ砂漠なのだと

希望があるところには必ず試練があるね
希望があるところには必ず試練があるね
希望があるところには必ず試練があるね
希望があるところには必ず試練があるね

希望があるところには…
君はわかるだろう?

海かと思っていたここは酷い砂漠だったし
面白みのない弱小アイドルが二つ名だった
放送でカットされるなんて事は日常茶飯事
誰かの間に合せが俺たちの夢
とある息子は
会社が小さくてまともに昇進できないらしい
俺は知っている 知ってるさ
俺も知っている

ひと部屋で7人が安眠を求めていた時代も
寝入る前に明日は違うだろうと信じる心も
砂漠の蜃気楼は見えるが捕まえてはいない
終わりなきこの砂漠で
生き残ることを祈って
現実でないことを祈って

結局、蜃気楼は捕まり現実になったら
恐れていた砂漠は僕らの血と、汗と、涙で
あの海になったよ
なのにこの幸せの狭間にある
この恐怖は何なのだろうか?
元々、ここは砂漠だという事を
僕らはとても良く理解している

泣きたくないよ
休みたくないよ
いや。少しだけ休んだらどう?
いや、いや、いや、
負けたくないよ
元々砂漠じゃないか
じゃあ、走らないと
もっと憂鬱にならないと

希望があるところには必ず試練があるね
希望があるところには必ず試練があるね
希望があるところには必ず試練があるね
希望があるところには必ず試練があるね

希望があるところには…
君はわかるだろう?

海、砂漠、世界
全ては同じ 異なる名前
僕は海を見、砂漠を見て、世界を見る
全ては同じでありながら
異なる呼び名と共にある
それは生命のかせ

希望があるところには…
君はわかるだろう?

希望があるところには必ず絶望があるね
希望があるところには必ず絶望があるね
希望があるところには必ず絶望があるね
希望があるところには必ず絶望があるね

僕らは絶望しなければならない
この全ての試練の為に

僕らは絶望しなければならない
この全ての試練の為に



『바다(Sea)』
作曲・作詞:j-hope, SUGA , Slow Rabbit , RM


*******


今回は、BTSのミニアルバム第5集「LOVE YOURSELF 承 'Her'」に隠しトラックとして収録されている "바다(Sea)" を意訳してみました。ここからは、韓国語歌詞の聴き取りの経緯と考察について書きたいと思います。



1.韓国語歌詞の聴き取り

隠しトラックという事で、CDのブックレットにはもちろん歌詞の記載はなく、ネット上にも公式発表のものはないようです。

検索で出てくる投稿型歌詞表示サイトの歌詞を参考に、疑問を持った部分は低速再生アプリで0.75倍速まで落として聴き取りをし、相違があった部分は以下の通りです。意訳はこちらの歌詞を元に行っています。

어찌어찌 걸어 바다에 왔네
이 바다에서 나는 해변을 봐
무수한 모래알과 매섭고 거친 바람
여젼히 나는 사막을 봐
바다를 갖고 싶어 널 온통 들이켰어 ※1
그런데 그 전보다 더 목이 말라
내가 다닌 것이 진정 바다인가 ※2
아니면 푸른 사막인가 (I don't know)

(中略)

바다인줄 알았던 여기는 되려 사막이었구
벽이 없는 중소아이돌이 두번째 이름이었어 ※3
방송에 짤리기는 뭐 부지기수
누구의 땜빵이 우리의 꿈
어떤 아들은 회사가 작아서 제대로 못 뜰거래
I know, I know 나도 알어

(中略)

결국 신기루는 잡히고 현실이 됐고 ※4
두렵던 사막은 우리의 피 땀 눈물로 저 바다가 됐어
그런데 이 행복들 사이에이 두려움들은 뭘까
원래 이곳은 사막이란걸 우린 너무 잘 알아

(中略)

Ocean, desert, the world
Everything is the same thing
Different name
I see ocean, I see desert, I see the world
Everything is the same thing
But with different name
It's life cangue ※5

(以下略)

※1
「바다를 갖고 싶어 ~ 더 목이 말라」
※4
「결국 신기루는 잡히고 현실이 됐고~이 두려움들은 뭘까」
この2箇所の韓国語は映画「Burn the Stage : The Movie」に出てきたテロップに一部倣っています。

※2
既存歌詞「내가 다 아는 것이(僕が全て知る事が)」を「내가 다닌 것이(僕が通った所が)」と聴き取りました。
既存歌詞の訳を「僕が知る全ての場所が」と意訳してしまえば次の文(「本当に海なのか?」)にも繋がりますが、この文の場合다(=全て【副詞】)が修飾するのは알다(=知る【動詞】)なのでそれは不可能なのでは?と疑問に思い、低速再生で確認してみました。

※3
既存の歌詞では「별거」となっている部分を「벽이」 と聴き取りました。これにより、「大したことない」という既存の訳が「癖のない(意訳:面白味のない)」に変化しています。

※5
既存の歌詞では「It's life again」となっている部分を、以下のような疑問を持ったため「It's life cangue」としました(cangue=枷)。

①again【副詞】はlife【名詞】を修飾する事ができないのでは?
②低速再生すると、lifeの後に「k」の発音が入っているように聞こえる。

よくよく聞いてみるとcanと似た発音をしていたのでそれを頼りに単語を探し「cangue」を採用しました。これで「(形容詞的)【名詞】+【名詞】」の形になり、文法的にも通るようになりました。歌詞の中での繋がり方については後程詳しく書いていきます。


2.ナミブ砂漠の理由

村上春樹氏の小説『1Q84』に登場するフレーズを引用した印象的なリフレインが象徴しているように、この楽曲の歌詞では「希望」を「海」に、「砂漠」を「試練・絶望」になぞらえ、彼らがつかみ取った成功、感じてきた苦悩を表現していると言えるようです。

しかしこの引用と比喩表現は、ただ単にそれらをより鮮やかに「対比」させ、彼らの成功の裏にある苦悩を楽曲という形で歴史に残すためだけのものではないと私は考えました。

歌詞中ホビが担当するパートに注目すると、今自分が居る場所・見ている景色が、海なのか砂漠なのか、はたまた本物なのかどうかすら見失っている様子が書かれています。

海と砂漠を「対比」させているというよりも、その境界線を見失う程、見分けがつかない程に混在、あるいは同化してしまっている様子を描くことが狙いなのではないかと思うのです。つまり、彼らが立つ場所から見える景色は希望であると共に同時に絶望でもあり、海と砂漠は「両極を併せ持つこと」や「同義性」の象徴なのではないか、と。

同じくホビの担当部分の歌詞に、以下のような箇所があります。

I know, I know 지금 내 시련을
(知っている 今の僕の試練を)
I know, I know 이겨낼 것을
(知っている 勝ち抜く事を)
I know, I know
나야말로 네가 의지할 곳이란 것을 Yeah
(知っている 僕こそ君の拠り所だという事を)
좋게 생각해 마른침 삼켜
(良い様に考えて 固唾を飲んで)
불안하더라도 사막일지라도
(不安でも 砂漠だとしても)
아름다운 나미브 사막이라도
(美しいナミブ砂漠なのだと)

ナミブ砂漠はアフリカ大陸南端近くの大西洋側に広がる砂漠です。検索で引っかかった写真にあった、海岸まで砂丘が迫る様子には息を飲みました。海と砂漠がせめぎ合い混じり合う景色は実在するんだ、と思いました。恥ずかしながらその名前と、オレンジ色の砂丘の存在だけは辛うじて知っていたこの砂漠が、このような顔を持っていた事を今回初めて知りました。絶景と称される美しい景色を持つこの砂漠の名が、現地の言語で「何もない」を意味している事も。

海と砂漠が同居する景色、そして絶景の象徴である「ナミブ」という言葉が実は「何もない」と同義語である、というふたつの点においても、「両極を併せ持つこと」「同義性」というキーワードが当てはまるのではないかと思います。

歌詞中に散見される「不安」「恐怖」は彼らの感情に他なりませんが、これらは「アーティストとして世の中で成功し続けられるか否か」「自分たちが周りの評価に見合った力を持っているか否か」といったような疑念から生まれてくるものであると思われます。

成功するという確かな「自信」(이겨낼 것勝ち抜く事)、成功しているという確かな「実感」(나야말로 네가 의지할 곳이란 것僕こそ君の拠り所だという事)を持ちつつも、ぬぐい切れない「不安」と「恐怖」。

これらのアンビバレントな感情を表現するために採用されたのが世界中から絶景と謳われながらも「ナミブ(何もない)」という名を持つ砂漠なのです。

現在地が例え荒んだ砂漠だとしてもただの砂漠ではなく「美しい」ナミブなのだと「良い様に考えて(좋게 생각해)」いる、という部分に、彼らが内に秘めている不屈の反骨精神を感じます。


3.命の枷

後半にさしかかると、ナムさんが語りかけるように表現する英語のパートがあります。ここでは、

Different name(違う名前)のSame thing(同じもの)

という正に前段落で取り上げた「同義性」に通じるキーワードが登場します。

このキーワードに何か出典はないかと調べていた時に出会った曲がこちらでした。

Death Cab for Cutieの "Different Names for the Same Thing" という楽曲です。歌詞を読んでみると "바다" の歌詞を紐解くヒントがありました。

あてもなくひとり乗り込む列車
僕のポケットの中で古い地図が崩れた
でも僕は自分がどこにいくつもりだったのか気にしない
それらは全部同じ場所の異なる名前

海が夏を溺れさせるとちょうど海岸が現れた
僕には誰かと分かち合う言葉がない
言語の境界線は静かに呪われている
同じもののための全ての異なる名前

同じものには異なる名前がある
同じものには異なる名前がある

「東京」という名の街が昔「江戸」と呼ばれていたように、「日本」という国が「Japan」や「일본」と呼ばれているように、異なる名前で呼ばれている同じ土地の存在は当たり前にそこにあります。

古い地図が崩れてもどこに行くつもりだったのかは気にしない、という表現には、目的や本質さえ見失わなければ「そこ」がどんな名前であるかは気にすることではない、という意図があるのではないかと思います。

人間社会においてすれ違いや、壁を感じてしまう時、私たちは「名前」を含めた「言語」に頼りすぎているのかもしれません。

知っている言葉だけに頼る事で引かれてしまった「言語の境界線」が「静かに呪われている」のは、伝えたい事の本質、相手の本心を尊重する気持ちがそこで見失われてしまうからではないでしょうか。

ここまでを踏まえて "바다" の歌詞に戻ってみます。

Everything is the same thing(全てのものは同じもの)
But with different name(しかし異なる名前と共にある)
It's life cangue(それは生命のかせ)

「名前」という一見便利な識別手段は時として境界線、あるいは先入観を誘うレッテルとなり、生きていく上でわずらわしい「枷」にもなる。
こう解釈すると、既存歌詞のIt's life againではなくIt's life cangueが正であると考えて良いのではないかと思うのです。

彼らは「防弾」の名を手にしたその時以来、数々の中傷を受けた事は楽曲の中でも明らかにされています。本来胸を張って名乗るべきその名が、枷となって自らを苦しめるその理不尽さを身をもって知っているからこそ、「名前」にとらわれる事でどういう結果が伴うかを訴えることができる。

普段から多言語を操るナムさんがラップというよりもリーディングの趣で語りかけるこの英語パートには、言語の境界線を飛び越えて本質を届けようとするバンタンの心根がこめられているのではないかと私は受け取りました。

ナムさんがDeath Cab for Cutieの曲を聴いているかどうかまでは私の力不足で残念ながら調べてもわからなかったのですが、言いたいことの根っこの部分がきっと似ているのだろうなと、ふたつの歌詞を読み比べながら思いました。


4.希望と絶望、そして試練

"바다" の歌詞では、頑なに自分で自分に試練を課そうとしている姿が見受けられます。少し休んだらどうかと思いながらもストイックに「もっと憂鬱にならないと」と自分を追い詰めています。

最たるものは結びの「僕らは絶望しなければならない/この全ての試練の為に」。

手に入れた幸せの隙間に見え隠れする墜落の恐怖から目を逸らさず、足元が元来砂漠であったことを忘れずに、自らに試練を課してあえて絶望を喰らう。

絶望が希望を生み、希望が絶望を連れてくることを知っている彼らだからこその試練との向き合い方に「そこまで自ら追い詰めなくても」と思ってしまいます。ひたすらに厳しい状況を訴えるこの歌に耳を傾ける事が、彼らにとっての癒しになっているのだと信じて願わずにはいられません。

決して利のある内容とは言えない真実を楽曲にして残していくことに積極的とも言える彼らですが、だからこそ親身になって聴きたくなるし、自分の物語に重ねてみたくもなるのだなと、今回は特にそんな事を思いました。



最後まで読んで下さりありがとうございました。



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