Jimin "Like Crazy" 共に夢を見続けるために ~日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.086
Like Crazy
彼女が言っている
「愛しいあなた、想像しないで
今夜 ここで
よくないことは起こらないわ
愛しいあなた、去ってもいい
居て欲しいの 今日までは」
俺が 狂ってゆく姿を見ていて
俺を濡らして 一晩中(絶え間なく)
朝が来ても
素面でいられるように
騒々しい音楽の中で
霞んでゆく 俺
ドラマのような
空々しい話に慣れてきている
君が知っていた俺を捜し出すには
遠くに来過ぎたのか?
そうだろう?
そうだよな?
そうなんだろう?
俺はむしろ
光に飲み込まれてしまいたい
光に飲み込まれてしまいたい
気が狂いそうだ
この夜の端を 捕まえてくれ
毎晩
君は俺を昂揚させる
君を抱いた月
味わわせて
この上ないひと時を
俺に 与えてくれ
(あゝ 堕ちてゆく)
素敵な夜になるだろう
(あゝ 堕ちてゆく)
永遠であれ 君とふたり
鏡の中に映る俺
際限なく 狂ってゆく
生きていると実感している
いたずらに 過ぎゆく時間
俺はむしろ
光に飲み込まれてしまいたい
光に飲み込まれてしまいたい
気が狂いそうだ
この夜の端を 捕まえてくれ
毎晩
君は俺を昂揚させる
君を抱いた月
味わわせて
この上ないひと時を
俺に 与えてくれ
(あゝ 堕ちてゆく)
素敵な夜になるだろう
(あゝ 堕ちてゆく)
永遠であれ 君とふたり
これは 俺を壊すのだろう
これは 俺を壊すつもりだ
やめろ 俺を起こすなよ
この夢の中に居たいんだ、
俺を助けるな
救おうとするなよ
俺には '俺たち'が
夢を見ることができる方法が必要なんだ
韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6194163
『Like Crazy』
作曲・作詞: Pdogg , BLVSH , Chris James , GHSTLOOP , 지민 , RM , Evan
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今回は、2023年3月リリースのJiminのソロアルバム第1集「FACE」タイトル曲 "Like Crazy" を意訳、考察していきます。
"Face-off" と共にRMがクレジットに名を連ねているこの "Like Crazy" には英語バージョンが存在し、同じアルバムに収録されています。
1.シンセポップ
まずこの楽曲について語るためには、公式の紹介文にもある「シンセポップ」について触れなければならないでしょう。
軽快な電子音が特徴的な、80年代に流行した音楽スタイルである「シンセポップ」。そうなんだ、あれってシンセポップっていうんだ…と今更勉強した私は当時小学生。"Like Crazy" を初めて聴いて持った感想が「懐かしい」でした。
電子音楽とひとことで言っても、その中にも様々なジャンルが存在しています。私はそれを分類できる十分な知識を持っていないので、「シンセポップ」である "Like Crazy" が持つ雰囲気を愉しむことができるのではないか、という観点だけで、80年代のポップ・ミュージックを集めてみました。↓
懐かしい~(^^)
個人的に、ジミンがこのジャンルで初めてのソロタイトル曲を持ってきたことについてはツボでしかなかったです。予想もできていなかったけど、期待を遥かに超えたと言うよりはもう、揺るぎない必然性しか感じなかった。
そこには、マイケル・ジャクソンのようなダンス込みのソロ・パフォーマンスに対する先入観的なものがあったのかもしれません。あるいは、シンディー・ローパーやカイリー・ミノーグのようなポップ・ソロシンガーとしての表現力に彼のポテンシャルを重ねて見ていたのかもしれません。
このプロデューシングを内部の人間だけで行ったといいますから、更に頭が下がります。
2.韓国語版と英語版の相違点
一方歌詞の方はというと。
英語版歌詞を見てみると韓国語版を単純に英訳したものではなく、世界観はそのままに韓国語版とはまた一味違った物語が紡がれています。併せて読むと、更にストーリーの奥行きが広がります。
ジミンのインタビュー音源がオンエアされたニッポン放送『古家正亨 K-TRACKS』2023年4月9日放送分にて、古屋さんが紹介してくれたエピソードのひとつにナムさんの話題がありました。
ナムさんがアルバム制作作業に参加してくれたことをジミンは「整理してくれた」と表現していたとのこと。言いたいことが言えるようにと交通整理をナムさんが担ってくれたことで、全編英語詞でありながらも解像度の高い歌詞になっているのではないかと思われます。
アメリカで放送された「The Tonight Show」でのパフォーマンスでは、この英語版が歌唱されました。↓
英語版歌詞の意訳は以下の通りです。
この英語詞の中で気になった箇所はこちら。↓
・hear(聞く)…無意識に聞こえてくる
・listen(聴く)…意識して聴く(参考)
この一文には、
意識して聴こうとしている声が聞こえてくる
=聴こうとしている意見だけが聞こえる
という状況が想定できるのではないかと思います。
聴くべき意見と聞き流すべき意見を自分で選択できる力は、たくさんの人間を相手にしながら生きて行く為には必要不可欠なものだと思います。万人の期待に応えることも、万人の否定に抗うことも、現実的ではないからです。
味方のふりをして「Trying to take the pressure off(プレッシャーを取り除こうとしてくる)」者たちは「Don't know who they are(知らない人たち)」だと身構えることも、自分を守るための術のひとつであると言えるでしょう。
かつて "ON" の歌詞には、こんな訴えが刻まれていました。
これに続く部分には、楽曲を貫通する「Crazy」という言葉に触れるものとなっています。
・have been ~ing…今まで実行してきて、これからもし続けること(参考)
・reach for …~に手を伸ばす(参考)
・find oneself…気付くといつの間にか~している(参考)
ここで「星々」=夢、幸せ、理想etc…と想定すると、
理想を実現させようという想いが強すぎて、気が付かないうちに心身が共にダメージを受けていることに気が付けるだろうか、
と言っていることになるのではないかと思います。
自分の行き過ぎた現状に気が付けないという状態はある意味「狂っている」とも表現できるのではないでしょうか。
3.映画「Like Crazy」
「슈취타」第7回のゲストとして出演した際にジミンは、楽曲のビハインドエピソードとして1本の映画のタイトルを挙げました。
ドレイク・ドレマス監督作品『Like Crazy(邦題:今日、キミに会えたら)』(2011)です。
映画との出会いと、楽曲制作に至るまでの経緯はローリングストーン誌のインタビューでも語られています。↓
元々彼が大好きだった "In Return"(2016) というフランスのミュージシャンBreakbotの楽曲が、この映画のワンシーンに被せてあった動画を観た事が映画を知るきっかけだったようです。
※「슈취타」でこのエピソードが語られた際に日本語字幕で「曲が映画に挿入されていた」と訳されてしまったことで、映画の挿入歌であるとの誤解が散見されますが、違います。
アメリカで1978年から開催されているサンダンス映画祭において2011年の審査員大賞を受賞したこの映画は、その台詞が役者によるアドリブであることが知られています。
〈『Like Crazy』は即興だったので台本通りにいかない〉というタイトルの記事↓
また、ローリングストーン誌のインタビューで彼は、曲のイントロとアウトロに挿入された会話が「正に僕が言いたかったこと」であると明かしています。
そのイントロとアウトロは公式歌詞には掲載されていない上に、0.5倍の低速で聴いてみると、既存のユーザー投稿型歌詞サイトの表記には実際の音声との相違があるようでした。
映画「Like Crazy」を鑑賞済みの私が映画の内容を踏まえて聴き取った内容は以下の通りになります。
クレジットに表記がないことからもわかりますが、これらの会話は実際の映画の中の会話のサンプリングではありません。
※1 will+動詞の原形…助動詞will「意志」の意(参考)
could be…なり得る(can beよりもやや可能性が低い)(参考)
※2 home again…また家に戻ってきた(参考)
※3 What's the point?…何の意味があるの?(参考)
映画「Like Crazy」は日本で劇場公開されませんでしたが、後日DVDで発売・レンタルが開始されています。その日本語の作品紹介文を読むと、「国境を越えた遠距離恋愛が引き起こした浮気が発端の、三角関係がこじれる愛憎モノ」のような印象を受けますが、実際のストーリーとは若干齟齬があるのではないかと私は思います。
あまり深く語るとネタバレになるので控えますが、この映画は
「I」が永遠に愛をもってして「We」であるために、
乗り越えなければならないものは何なのか?必要なものは何なのか?
についての、決して答えの出ない〈考察〉のようなものなのではないかと感じています。
劇中、その「必要なもの」の候補として「Patience(忍耐)」という言葉が登場します。それがあれば乗り越えられるとふたりは信じますが、なかなかうまくいきません。
それぞれが掛け替えのない現実を抱えながらも「We」でいるためには、どちらかが「I」を放棄しなければならないがそれもできない。
二兎を追う者は一兎をも得ず、という言葉通りの展開が続きます。
楽曲 "Like Crazy" のイントロ・アウトロは、そんな映画の主人公たちの葛藤をオマージュしたものとなっています。
ずっと一緒に居られると信じてはいるけれど、
その信念を遂行するには現実が伴わない。
犠牲にするものが多すぎるとわかっていながら、
目の前の温もりに「Like Crazy」手を伸ばす。
それでも結局、
理想を追うだけでは現実に変化は起こらない。
逢瀬を重ねる度に、現実に引き戻される度に、
「何の意味があるのか」と空虚な気持ちになる。
ジミンがこの映画のストーリーを通して語りたかったことを、ARMYのはしくれである私が推し量るに、
今と同じ状況では永遠に活動し続けられないという「現実」と、
現在進行形でバンタンを観続けていたいというARMYの本心(「理想」)の狭間で、
理性を忘れて無我夢中になる自分の中の「狂気」と、
ふと感じてしまう「虚しさ」…
そんな相反する感情が渦巻いたまま明確な答えが出せずにいる自分に「FACE」ことを表現したかったのではないか、と。
そんな観点から映画のストーリーを念頭に歌詞を追ってみると、ハッとするような表現が並んでいることに気付きます。
あなたは言う
「そんなに先のことは考えなくていい。
今のその姿を見せてくれれば
何も悪いことは無いから。
いずれは離れてしまうのはわかってる。
でも、今日までだけは何も考えずに
私と一緒にただここにいてちょうだい」
※4 Don't you +動詞…「~するな(上から目線のきつめの命令文)」(参考)
この状況のままではいずれ
自分自身が壊れるだろう。
でも、俺はずっとこの夢の中にあり続けたい。
だからもう、
俺を救い出そうと手を伸ばさなくていい。
このままでは崩壊の道を進むことになる。
「I」には「We」が
共に夢を見続けることができる方法を
模索する必要があるのだ。
「Save me」というARMYにとっては特別な言葉を用いた「救うな」という訴えから私は、「今までと同じ、またはこれ以上のペースでバンタンへの支持を世界に向かって表明し続けることは、かえって彼らを崩壊へと導いてしまう」のではないか、という懸念を抱きました。
「兵役に伴う」という前提が今回のグループ活動休止の主旨であることは理解していますが、「人としての成長」を欲している彼らがその本懐を遂げるには、
「自分にとっての最高の偶像としてあり続けて欲しい」
と願う個人個人の強すぎる思いは、彼らにとってはもう「Crazy」でいなければ引き受けられないものになってしまっているのではないか、と思うのです。
映画「Like Crazy」には、強く惹かれ合うが故に各々の生活や未来を犠牲にしてしまいながら、そんな現実や自分の不実から目を背け、短絡的な幸せを辛うじて食つなぐような日々を送るふたりの姿が描かれています。
バンタンとARMYはそんな関係になってはならないと思います。
そのことに彼らはすでに気が付いているのではないかと思うのです。
現実を見て、自分自身と対峙して、どうしたら「I」が「We」で居続けることができるのか、その方法を模索するためにこの貴重な時間を過ごそうとしているのだと、私は思っています。
☆
楽曲 "Like Crazy" は、主題の落とし込み方の美しさ、音楽表現としての美しさ、パフォーマンスとしての美しさ、どこを取っても間違いなく最高値で評価されるに値する作品であると私は思います。
Billboardでの快挙達成が、それを証明してくれているのではないでしょうか。
今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
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