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不登校の責任は誰が負うべきなのか

アルバイトを始めて在宅小学生Qちゃんの勉強を見る時間が少し減ってしまいました。
3年生ってどんなことを勉強しているんだろう。
一応ワークを買ったり、教科書を読んだりしていますが
Qちゃんは案の定気が乗らないらしく。
でも一応やらなきゃなーという思いはあるみたいで、苦肉の策で大好きなスポンジボブを見ながら勉強しています。
とんでもねえな!!
Qちゃん曰く、面白いものを見ながらつまんないことをするとはかどるんだって。
本当に!?
でも、私も勉強を見てあげる余裕があまりなくて好きにさせています。
自由すぎる勉強の効果やいかに。


さて、今日は責任の話をしたいと思います。

「○○が『学校に行かなくてもいい』って言っているからといって、学校をサボって困ったとしても〇〇は責任をとってくれない」

ゆたぼんくんと堀江貴文氏の議論、最近話題になっていますよね(議論なのかあれは?)

ゆたぼんくんといえば、9歳で不登校をすることを決めて発信をしていましたが、有名になり始めた当初、つまりまだQちゃんがもっと幼くて
「Qちゃんはきっと小学校で人気者になれるぞ!」
と信じて疑わなかったころから
「ゆたぼんって子はすごいな。この国のすべての子供が彼のようになることはないし、その必要もないけど、こういう子もいてもいいだろうな」
と思っていました。

案の定というかなんというか、彼は大勢のアンチに叩かれながら立派に成長して、今や通信制の高校生になり、すっかり学校を楽しむ青年になったわけですが。

大勢のアンチは高校生になって学校もいいかもしれないという態度を取り始めた彼に
「そう!学校なんか行かないでいいっていう人のいうことを鵜呑みにして、学校に行かない選択をしても誰も責任なんか取ってくれないよ!ゆたぼん成長したね!大人になったね!!」
といった感じで手のひらを返しています。


対してホリエモンこと堀江貴文氏は前から学校教育に疑問を持っていたそうです。
私もつい最近『すべての教育は『洗脳』である』という過激なタイトルの著書を読みました。この人はすごく口が悪いけど本当に頭がいい人だなぁと感心してしまいました。
そもそも「不登校=悪」「学校=当たり前」だと思っている人にだいぶ刺激的なことが書かれているのであまりおすすめはしませんが・・・言い方がちょっとね。
私はすごくスカッとしたけど、劇薬注意です。

不登校していると、「責任」の話はよく聞かされます。

Qちゃんがこのままの状態だと私も責任取れませんよ(byスクールカウンセラー)

子供を学校に行かせるのは親の責任だ

学校に行かないことで将来困ったとしても誰も責任取ってくれないよ


責任・責任・責任・責任・責任・・・


「そうだそうだ!!不登校の責任取ってくれる人なんて誰もいないぞ!!!(だから学校くらい行きなさい)」

と意気揚々と他人の領域に土足で踏み入って不登校を非難したい人に不都合な真実を言いたい。

そもそも学校に行って困ったとしても
誰も責任を取ってくれないのである

学校に通い、やりたくもなく興味もないことを「子供の頃から我慢を覚えることが大事だから」と
本来だったら夢中になれることに使えるはずだった時間を無駄にしたとして、誰かが責任とってくれますか?

心の底から学校に行きたくないのに、「みんなが行くところだから」「行かないと将来誰も責任取ってくれないし・・・」と無理して行って、心に深い傷を負ったとして、その責任を誰かが取ってくれますか?(もちろん犯罪に関わることやハラスメントなどは訴訟により金銭で責任をとってもらえることもありますが、それは別として。)

現状、子供の頃に学校に通い、その後困ったことがあったとして
誰かが責任取ってくれていますか?

もちろんホリエモンもゆたぼんも責任は取らないし、
「不登校で将来困っても誰も責任取ってくれないよ(だから学校くらい言行きなさい)」って説教してくる人たちも
学校に行くことで失うもの、不利益についての責任は取ってくれません。


以前、スクールカウンセラーの先生に
「私は責任取れない」
と言われたことがあって(上記)
「責任なんかとらなくてよろしい」
と反論したことがあります。

私は私なりに責任と覚悟を持って子育てをしています。
(見ようとしない人にはそうは見えないようですが)

私の大切な子供の責任を他人なんかに取られてたまるか。

学校に不満はあれど、学校に責任があるとはこれっぽっちも思っていない。
何も変わらなくていい。行かなきゃいいだけなので。
本来なら受けられる利益を大いに受け損なっていますが、それこそ自己責任ですよね(この言葉、あまり好きではありませんが)

大して責任を取るつもりもない人に
「不登校は将来困ったときに責任云々」
ってお気軽に言われると正直腹が立ちます。


「○○がこう言っているから学校行きたくない」
っていうお子さんの話はよく聞いた方がいいでしょうね。
本当に学校に行きたくないから、どうにかそれを伝えたくて説得力のありそうな人物の発言を取り上げたのか。
そこに強い意志があるのなら学校に行かない選択はあり、というか行かない方が身のためでしょう。

「〇〇が学校は意味ないって言っているから学校に行かない」
のと
「誰も責任を取ってくれないから学校に行く」
のは本質的には同じことです。

そこに自分はいるのか。
生殺与奪の権を他人に握らせるな!


結局は本人が全ての責任を負います。

そんなの不登校当事者は言われなくてもわかってるよ。
自分が気持ちよくなりたいがために、子供を気遣うふりをしてこれが正義とばかりに自分の考えを他人に、ましてや当事者に伝えて追い詰めることを
私は卑怯だと思う。

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