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不登校児親、空条徐倫になりたい。

ジョジョの奇妙な冒険が大好きな在宅小学生の母のぞみです。

インスタも見てね。
見なくてもいいけど!


先日、夕食の時に急にQちゃんが
「あのね、Qちゃん学校で嫌だったことがあるの」
と話し出しました。

あまり学校のどこが嫌だったかについての話は聞き出せなかったので
これは私にとっては一大チャンスだったのです。

「え、なになに?教えてくれるの?」

と矢継ぎ早に問いただしたくなる気持ちをぐっと抑えて

「うんうん」

と耳を傾けていると・・・

「給食の時にどうしても食べられないものがあって、それはモシャ・・・?シモ・・・なんだっけ?そんな感じの名前の魚」

「ししゃも?」

「そう、ししゃもフライ。あれがどうしても食べられなくて。1年生の時は食べられないものは残してもよかったのに、2年生になったら全部食べなきゃならなくて。2回目のチャイムがなるまで食べないとならないの。Qちゃんはどうしても食べられないから、衣だけかじって2回目のチャイムがなるまで待ってたの。それが嫌だったな」

と、給食の思い出を語ってくれました。

それを聞いた夫

「そっかぁ。確かにお父さんも子供のころ食べられなかったよ。でもさーあれ大人になると酒のつまみに最高なんだよねぇ」

私「あんたはだーっとれぃッッ!!!!!」byウィル・A・ツェペリ

※心の声。ここで叫ぶとややこしくなるから。

お前の好きな酒のつまみの話なんかしてねぇんだよ
娘の話を聞けッッ!!

という気持ちもぐっと抑えつつ

「そっかぁ、そうなんだね。ししゃもってもさもさするよねぇ。食べられないのに食べろって言われるのは確かに嫌だな。」

と答えてこの話はおわりましたが

もちろんししゃもフライが不登校の最大の理由ではないでしょう。
これからもぽろぽろ出てくるんじゃないかと想像する。
でも嫌だったことを言葉にできた。
これって成長じゃないでしょうか。
空気読めない夫はほっといてもいいですけど、娘の精一杯の成長の証を無碍にするのはやめてくれ。

あとでシメときます。



さて、話は変わって。

今日は不登校と全然関係ないようなあるような話がしたいです。

今年もクリスマスコフレが発売される季節になりました。

私はお化粧品にあまりこだわりがある方ではなく、なんなら100均のアイシャドウとかアイブロウとか使ってますけど(あっ・・・ひかないで)

でもやっぱりいわゆるデパコスって素敵ですよね。
たくさん種類がありすぎて目が回ってしまうので何を基準に選べばいいのかもわからないから
お手軽な100均とか、ドラッグストアのプチプラコスメを買ってしまいます。
だって高いから失敗できないんだもの!!

そんな私が久しぶりに心が揺れ動いたクリスマスコレクションがありました。

シュウウエムラのジョジョコラボコスメです。

徐倫のハートのデザインが施されたアイシャドウに心を奪われてしまいました。
普段100均もしくはドラッグストアの化粧品使ってる女ですよ?
世の中の女性はアイシャドウひとつにこんなにお金払ってるのか・・・と思いつつ。

ハートのアイシャドウは本当にほんっとうううううにデザインが好きなんですけど
私の目は二つしかないし
そしてこんなかっこいい色
私みたいな髪ぼさぼさのめがね主婦に似合うんだろうか??
この色が似合うのってスタンド使いだけじゃないの??
私はどちらかというと敵との戦いに巻き込まれて
のたれ死んでそうなモブキャラだけども・・・。

私の宝物です。


結局承太郎さんと徐倫が描いてあるアイシャドウと、徐倫をイメージしたマーブル模様のリップを購入しました。


スタンドパワーが発現したらどうしよう。


こっちの方が生活感溢れる主婦にもギリギリ使いやすい色だと思ったので!



ジョジョ6部ストーンオーシャンを知らない方に簡単に説明すると、
空条徐倫(くうじょうジョリーン)は今のところジョジョシリーズ唯一の女性主人公です。

私はどの主人公も大好きですが、徐倫は憧れです。

ストーンオーシャンの中で大好きな空条徐倫のセリフがあります。
物語の後半で、エンポリオと言う少年を敵のプッチ神父から逃がそうとするんです。

あんたを逃すのはアナスイであり……
エルメェスでありあたしの父さん空条承太郎……
生きのびるのよ
あんたは「希望」!!

荒木飛呂彦 ジョジョの奇妙な冒険PART6 ストーンオーシャン 17巻

このお話はアニメで見たのが最初でした。声優のファイルーズ愛さんの力強い声に胸が熱くなりました。

何がなんでも子供を守る。それがたとえ血のつながっていない子供だとしても。
全ての子供は「希望」そのものだからです。
これこそが大人の態度であると強く思いました。(徐倫も19歳の若者で、一昔前は成人前の少女ですが)

子供にはどうしても立ち向かえな敵がある。
それを
「今ここで乗り越えなければ将来もきっとすぐ挫折してしまう」
と決めつけてその敵に立ち向かわせるのか?
大人には確かに痛手はないんですけど
そこで子供が再起不能になってしまったらどうしたらいいのか?

たとえ自分が茨の道を進んできたとしても、希望そのものである子供たちに同じ道を進ませない努力を私たち大人はしているだろうか?

「そういうものだから」

の一言で変える努力もせずに過去の自分に囚われていないだろうか?
自分が辛い思いをして耐え忍んだ苦労話は子供たちには関係ありませんよね。
押し付けでしかない。

ちなみに、その場は徐倫によって逃がされたエンポリオ少年は
その後再びプッチ神父と対峙します。
最初こそは逃げていましたが、覚悟を決めてプッチ神父と戦います。

徐倫が、大人たちが少年を逃していなかったら
プッチ神父との対戦もあり得ませんでした。

全ての子供達が安全な道を歩めるように大人が導いていくこと。
希望そのものである子供達を守ること。

守られた子供たちは、大きくなった時に子供達を守ってあげられる大人になれます。
私が思うに、子供の頃に大人に守ってもらえなかった大人たちが
今子供たちに辛くあたっているんじゃないのかなぁ

「今の子は甘やかされてる」

「私も昔甘えたかった」
の裏返しだと思うのです。
その気持ちは大切にしましょう。

そしてその上で現在希望そのものである子供たちが苦しんでいたら
手を差し伸べて逃がしてあげられる大人でいたいですね。

やれやれだわ…




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