『中央銀行はお金を創造できるか』 金井雄一

 MMTについての批判が載っている、と、毎日新聞の書評で読んで、手に取りました。MMTは〈現代貨幣理論〉と訳される経済分野の学説の一つです。
 政治・経済全般に疎い私がこの本を読むことになったそもそものきっかけは、新型コロナでした。豪華客船が日本に着いて船ごと隔離された後に私が思ったことは、「それほど感染力は高くなさそうだから、マスク着用だけ徹底してふつう通りに過ごすのが経済的にも医療的にも生活的にも最善っぽいな」でした。でも現実はどんどん大変な騒ぎになっていて、え? え? そんなことまでホントに必要? どんどん心配になってきて、いろんな業界の専門家のみなさんはこの事態をどう考えているのだろう……目に付くまま、いろんな記事を読んでいました。

 で、そのときに出合ったのがMMTについて書かれた中野剛志さんの連載記事でした。理に適った圧倒的な説得力を感じつつも、その全部に「うん、その通り!」と言ってはいけない警戒心が働き、困りました。モヤッと違和感はあるけれど、その違和感がどこから来るのかわからない……。大学の先生(←経済畑ではない)に相談すると「私もまだ読んではいないけれど」とランダル・レイさんの本を紹介され、読んではみたもののやっぱり違和感の在り処はわからず。アカン、私ではもうこれ以上はワカラン……仕方なく保留にしていました。

 で、この本を読んで、わずか2ページ目で解決しました。私史上最速の納得だったかもしれません。ありがたいことです。


 中野さん・レイさんを読んで私が理解したMMTの主張は、こんな感じです。――
 〈お金〉というのは本来は貸し借りの記録に過ぎず、帳簿上の単なる数字だ。銀行が〈お金〉を貸すときも、まず金庫に山のように積まれた現金があって、そこからいくらいくらと貸すのではなく、「よし、この人に貸そう。この人ならいずれ返してくれる」と判断した銀行が帳簿に「1000万貸す」と書き入れる。するとそれだけで借り手は1000万円分の権利を持つ。このとき銀行は金庫に1000万円分の現金を持っておく必要はないし、借りた人がその権利を現金化しさえしなければ、そもそもモノとしての現金・貨幣は必要でない。

 つまり経済の歴史は、〈初めに物々交換があって⇒便宜的に貨幣が造られて⇒やがて帳簿だけの取引もされるようになった〉ではなく、〈初めに帳簿だけの信用取引があって⇒その後、便宜的に貨幣も造られるようになった〉。「まず現金・貨幣を用意して」がスタートではないから必ずしもモノの裏付けに縛られる必要はない。

 そしてそう理解すると、日本やアメリカのように自国で自国の通貨を造っている国は、インフレにさえ注意すればどれだけお金を刷っても問題ない。必要な経済政策があるのならどんどん予算を組めば良い、ただしインフレにだけは気を付けつつ。――


 私が説得力を感じたのは前2段で、違和感を感じたのは最後の段でした。でも何がどうだから「違うと思う」のかがわからない、そんな状態でした。
 それが本書冒頭を読んで啓(ひら)かれました。金融システムには外生的貨幣供給論(外生説)と内生的貨幣供給論(内生説)という考え方があるそうです。

 外生説は「貨幣は経済活動の外部で創られる」、内生説は「貨幣は経済活動の内部で創られ、内部で消滅する」。
 「まず現金・貨幣を用意して」という仕組みは外生説的。現金・貨幣を用意するのはいわゆる中央銀行で、私のイメージでは池の鯉に餌をやるオジサンです。「もっとくれ」と鯉に言われたらじゃぶじゃぶ餌を投げ込む。
 一方、帳簿だけでも取引できるという仕組みは内生説的。私のイメージで言うと、友だち同士の貸し借りを帳面に付けている状態。Aに写させた授業のノートの貸しは、Aの口利きでBに宿題を手伝ってもらったからチャラにして、Cへの貸しはDのツテでEに……とごちゃごちゃやっている内にややこしくなってきたから、過不足ない程度の〈お手伝い券〉でも作ってやり取りするか……な感じ。

 内生説では、〈お金〉を使う人も作る人も〈友だち同士の一人〉なわけですが、外生説では池の外で〈お金〉が作られる。
 著者の金井さんによると、MMTは、経済の動きを説明するときには内生説的なのに、自国の通貨を造る中央銀行だけは外生説的に扱う。そこに問題がある、とのことでした。私には理解できなかったモヤモヤがやっと腑に落ちて、感激しました。

 そしてそれを踏まえて重要になるのは、内生説で考えると、結局は登場人物の誰もがある程度〈信用されている〉ことが大事ということです。池の外から餌をくれるオジサンがどんな人なのかは鯉にとってはどうでも良いけれど、信用をやり取りするメンバーが〈みんな友だち同士〉となると、あんまり無茶な人では困ります。やたらめったら愛想が良くて、お願いしたら絶対イヤとは言わないけれど、その約束、ホントに守れるの?な勢いで「いーよいーよ、大丈夫、大丈夫」どんどん引き受けてる姿を見たら、「前に頼んだ私の約束は大丈夫なのか……?」不安になります。
 どれだけ発行しても発行した分だけ国債に買い手はつくし、中央銀行は絶対信用を無くさない――なんて本当か?というのがこの問題で、やっぱりそこはノンキに「大丈夫」と言っていてはいけないと思う……。
 今更ながら、恐ろしいことを教わった気分です。



 『中央銀行はお金を創造できるか ―信用システムの貨幣史―』
 金井雄一著 名古屋大学出版会 2023年

 ☆補足☆
・『MMT現代貨幣理論入門』 L.ランダル・レイ著
 島倉原監訳 鈴木正徳訳
 東洋経済新報社 2019年(原著初版は2012年)
・中野剛志さんのネット記事は見つけられませんでした。確か全部で9回くらいの、そこそこ長い連載だったと思うのですが……。ごめんなさい。

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