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秀でたものはあるか

数年前、仕事の後輩から「なつきさんは〝博愛の人〟ですよね」と言われたことがある。

【博愛】
すべての人を平等に愛すること。

goo辞書

そんなことはない。大袈裟だ。
この後輩にはマザー・テレサの伝記でも読ませないといけない。

私だって「許せない人」もいるし、日々「ムカつくわーアイツ!!」と心をモヤモヤさせていることもある。
白黒はっきりさせたいタイプなので、どちらかと言えばモヤっていることの方が多いのではないかと思っている。
彼女がなぜ私を〝博愛の人〟と表現したのか、何年経っても理解できない。


先月あたりから里山の田んぼの管理をする団体のお手伝いをさせてもらっている。
平均年齢は70代の高齢者のみなさんの集まりだ。
お手伝いをさせてもらうきっかけになった方(88歳)と出会った時に「あなた、とても良い顔をしてるね」と言っていただいた。
その日、夫から「希ちゃんは、お年寄り(年上)にモテるね。とても気に入られていたよね」と言われた。
私は、全く実感がない。
数分立ち話をして「へー!」「すごい!」「そうなんですか!!」と相槌をしていただけだ。
私は気に入られていたんだろうか。気に入られていたとしたら、夫は何をもって気に入られていると思ったのか。


仕事を退職するときに後輩から手紙をもらった。
その手紙には「なつきさんの好きなところを書きます」と書かれていて、彼女が思う私の好きなところが箇条書きされていた。
(本人は文末に気持ち悪くてごめんなさいと書いていたけど、気持ち悪くないよ。ありがとう)
「声」「二重の幅(着眼点がニッチすぎて二度見ならぬ二度読みした)」「後頭部の丸っとしたところ(後頭部の丸っとしたところに関しては、私は絶壁なので完全に美容師のおかげである)」みたいな内容が多かったけど「声をかけると微笑んでくれる安心感」という一文があった。

ごめん。微笑んでいた覚えはない。
自分的にはわりとイラつきながら仕事をしていることが多かったと思っているので「声をかけると微笑んでくれる安心感」と言われて?????となった。
眉間にシワ、寄っていなかっただろうか。


自分のこれまでの人生で「後輩」や「年下の人」「自分の専門域に関して自分より知識がない人」から頼りにされているんだなと感じることは確かにあった。
それ以外にも「困っている人」から何かしら連絡を受けて、話を聞いたり、相談を受けたりすることも多かったような気がする。
あくまでも〝ような気がする〟だけだ。他の人がどのくらい人の相談にのったり、話を聞いたりしているのかわからないから。
私に「困っている」と連絡してくる大抵の人は皆、困りごとがある程度解消されるとパタリと連絡をしてこなくなる。
この状況まるで『都合のいい女』のようだと思ったことさえある。
「連絡してこないってことは、私の存在忘れるくらい元気なんだろうなあ」と思うようにしている。
みんな、元気でいればそれでいい。


ある時「秀でた才能」についての話になった。
そこには、字がきれいな人や唯一無二と言える作品を作る作家さんがいた。
みんな「○○が上手だよね」「素敵だよね」「センスがあるよね」という話になったけど、やはりいくら考えても自分の「そういうところ」が見えてこなかった。

私は、特別秀でた才能がない。
絵が上手だとか、字がきれいだとか、英語が堪能だとか、料理のセンスがあるだとか、そんな風に自分の身ひとつで何かを作り上げたり、輝かせたりすることができない。
アクセサリーや小物はハンドメイで作るけど、特に独創的なわけではなく、検索すれば似たようなものは山ほど出てくる。
実際、minneで販売しているが完全に埋もれてしまっている。

私は、得意なことがない。
ずっとそう思って生きてきた。

最近、SNSで仲良くさせてもらっている人が私についてこんな風に言ってくれた。
『根拠のない安心感がある』

根拠がないというのが大事で、理屈ではなくて、なんとなく隣にいて、黙っているだけでも、どこか安心する。 詰まっていることを話そうとを思える空気、空間を作ってくれる。 そんなふうに思います。
根拠があると、ある意味、マネができるというか、、、似たようなことはできると思うですが、根拠がないと、他の人はなつきさんにはなれないんですよね。

メッセージより抜粋(家宝にします。ありがとう)

私が今まであげてきたエピソードに通じると思った。
私のことを〝博愛の人〟と言った後輩も、〝声をかけると微笑んでくれる安心感〟が好きと言ってくれた後輩も、「あなた、良い顔しているね」と言ってくれた田んぼのおじいちゃんも、こんな風に感じてくれていたのかもしれないと思った。思い返せば他の人からも「安心感がある」と言ってもらったことがあった気がする。
それは、私の方が年上でおばちゃんなので「母のような安心感」なのだろうと思っていたけど、あの「安心感」もこの「安心感」だったのだろうか。
(結局どの安心感なのか)

もしかしたら、私は『都合の良い女』ではなくて「マイナスイオンがガンガン出ちゃってるパワースポット」だったのかもしれない。
(言い過ぎました。すみません)

他人のことならば目に見えない良いところを挙げることができる。
実際「あなたはここが素晴らしいよ。自分では気づかないと思うけどね」というような言葉を今までもいろんな人にかけてきた。

でも、自分のことはどうだ。
目に見えない才能を信じようとしなかった。
振り返ってみると私の良さを言葉にして伝えてくれていた人はいたのかもしれないが、それを「見えない」を理由に私は否定し続けていた。



秀でているのかもしれない「安心感」を履歴書の長所に書けるようになりたい。
自己紹介の時に「私には安心感があります」と言いたい。

とりあえず目に見えなすぎるので「安心感を与えるオーラ」と呼ぶことにしよう。

想像してみた。
履歴書の長所に「安心感を与えるオーラ」と書かれてもなんのこっちゃっである。
自己紹介で「安心感を与えるオーラがあります(ニコッ)」と言ったら「それは自分で言うことじゃない」と総ツッコミを受けそうで怖い。


私から醸しでているであろう「安心感を与えるオーラ」は一体なんなのだろうか。
自分でこれをしているという実感が全くないので空を掴む状態だ。

「安心感を与えるオーラ」は人とのコミュニケーションの上で出ちゃっているようなので、コミュニケーションをとる時に無自覚に何かしているはずだ。

・・・・わからない。
私は人見知りなんだ。コミュニケーションが苦手だ。
特に対面は本当に緊張して脇汗びっちゃになることだってあるのに。
私の方が「安心感を与えるオーラ」がある人にすがりたい。


自分が何をどうしているのかわからないけど、この「安心感を与えるオーラ」が「汚れたオーラ」にならないようにしよう。
これからも、私は私でいることがきっとこの「安心感を与えるオーラ」をもち続けることに繋がるんだろうなと思うとちょっと自分が自分であることが誇らしくなった。










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