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自らを貫く?

今日はなんだか心が疲れている。

今月から新年にかけて、1人だけでいる時間があまり取れていないからだと思う。


私は人と会うとき、“その人の前だけの私”を抽出して、体表面に塗りつけ、ギプスで固定している。

1人の時間に、そのギプスをチョキチョキと切れ味の悪いハサミで切って、抽出した“その人の前だけの私”を全体に馴染ませて元に戻している。
(おそらく、クリエイティブなことをしている時、上記の作業が円滑に進められるのだと感じている。)

相手から良く思われたい、気に入られたい、大切にしたいという感情がそうさせている。

と思うのだが、 1人の時間がないと、その回復作業ができず、何重にも重ねたギプスで身動きが取りづらくなるし、“その人の前だけの私”が散り散りになって迷子になる。

それらが面倒になったとき、超回復をしてギプスを全て取り去り、“100%の私”で接することになる。

“100%の私”というのがかなり厄介だ。
自己中心的なナルシストで、自分以外への関心が薄く、相手への優しさや配慮がかけらもない。

私の数少ない友人たちには“100%の私”をたびたび披露してしまっているのだが、それでも友人を続けてくれた人たちだけが残っている。

すごく有難いことだなと思う。

だから、大切にしたくて、優しさを抽出し…というのを繰り返している。少しだけ、他の要素も足しながら。

そういう風にしか他人と付き合えないので、出会った時から“100%の自分”を出せている人を見ると、好意的に思うし、羨ましくもあり、憧れるし、嫉妬もする。

残念ながら、付け焼き刃でかき集めて塗り固めた私では、“100%の自分”を出せている人に太刀打ちできないのだ。

そういう葛藤と日々、戦っている。

と思っているが、たぶん親しい人たちにこれを言っても伝わらない気がする。

私は私を貫いていると思われている。

何故だろう…?

きっと、優しさが足りてないのかもしれないな。



これだけつらつら書いてきたが、何が言いたいのかというと、1人の時間は大事だよということである。