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ゴミじゃない。

大掃除をした。

ここ最近、自宅に帰ると絵の具とその洗浄液、お香の残り香が混じり合って、異臭とまではいかないが変な匂いがしていた。

洗剤を薄めた水を浸した雑巾で、天井から壁、床にかけて、拭けるところは全部拭いた。

ベッド下の荷物を全部出した時に、今年描いたものが出てきた。

こういうのってどうしたらいいんだろう?

出来のいいものは残して、他は捨てる?

いまの私は、全部捨ててしまいたいと思っている。


少し前に観た映画、主演・監督・脚本をのんさんが務めた『Ribbon』という作品がある。

コロナ禍の2020年。
いつかが通う美術大学でも、その影響は例外なく、 卒業制作展が中止となった。

悲しむ間もなく、作品を持ち帰ることになったいつか。 いろいろな感情が渦巻いて、何も手につかない。 心配してくれる父・母とも、衝突してしまう。 妹のまいもコロナに過剰反応。 普段は冷静な親友の平井もイライラを募らせている。

こんなことではいけない。 絵を描くことに夢中になったきっかけをくれた友人との再会、 平井との本音の衝突により、心が動く。 未来をこじ開けられるのは、自分しかいない―。

誰もが苦しんだ2020年―。
心に光が差す青春ストーリー。

公式HPより

2020年3月。
主人公のいつかと丸々同じ状況下にいた私。

卒業制作展は中止となり、中野サンプラザでの卒業式も行われなかった。

展示が中止になったことは、当時画家志望ではない私には結構どうでもよかった。

卒制の講評が終わって、完全に燃え尽きていたからだ。

いまでも、「人生で1番頑張った時期はいつ?」と聞かれたら、「卒制を作っていた時」と答える。

そのくらい思い入れはあるが、作り出したものたちを取っておこうとは思わなかった。

大学の近くに借りていた部屋を引き払う時に、全部捨ててしまおうとゴミ袋に乱雑に詰め込んでいたら、引越しの手伝いに来た母に「残しておきなさい」と言われてしまった。

写真も撮ってあるから捨ててしまってよかった。
というか、捨ててしまいたかった。

残しておくと、過去に縋り付いて再起できないような気がしたから。

仕方なく、卒制の作品たちは実家に送ることとなった。

いまも実家のリビングの片隅に置かれている。


映画の主人公いつかは、部屋の掃除に来た母によって作品を捨てられ、
「あんなの作品じゃないでしょ」
「あんな、子供の工作みたいなのがいつかの絵なの?」と言われ激怒し、絵をゴミ捨て場から回収する。

その後、いつかはやっぱり自分でゴミ捨て場に持って行ったり、回収したり。
ゴミかゴミじゃないか問題は物語の終盤まで持ち越されることになる。

映画では、どちらでもない選択をすることになったところで終わっている。

が、最後のシーンの後、いつかは悩むことなく作品をゴミとして捨てているのではないかなと思っている。

いつかには、作品に対してもう思い残すことは何もないと思うからだ。


いま、私のベッド下にいるものたちには思い残すことはない。

だからやっぱり捨ててしまっていいのだ。

実家に置いてある卒制の作品たちには、まだ思い残すことがある。

そのうちと思ってないで、思い残しをさっさと昇華させて次に進まなければならないような気がする。