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フォトエッセイ towazugatari

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日々の暮らしの中で出逢った美しいもの、心に優しいと感じたもの等々...僕の独り言とPhotos
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記事一覧

”泥中の蓮” お盆に家族で過ごした時間。そして遠い記憶からの気付き...フォトエッセ…

令和6年の夏… 猛暑に負けて、亡き母のお墓の掃除にも行かないまま、お盆を迎えてしまいまし…

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魂の故郷、宮崎へ...フォトエッセイ towazugatari

神奈川は、今ちょうどソメイヨシノが満開になっている。 先週訪れた遠く離れた地は、それより…

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日常の中の小さな小さな絶景たち...フォトエッセイ towazugatari

旅に出れば素敵な景色に出会う事が多いけれど… 日常の中にある "小さな小さな絶景"を撮るの…

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コトコト揺られてJR日南線の旅...フォトエッセイ towazugatari

7歳の時以来、本当に久しぶりに降り立った地。 今は亡き、優しい叔母が住んでいた町「飫肥」…

陽日希(noZomi.h)
10か月前
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"透明"の魅力。宝石のようなカクテル...フォトエッセイ towazugatari

僕は、ほぼお酒が飲めない。 その点ではどうしても、人生での楽しみが他の人より少ないように…

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愛の無い家庭、その中に隠れていた”無償の愛”...フォトエッセイ towazugatari

母の日の花。贈る相手はいないけれど… ここ数年、花屋さんを営む友人から、母の日用の花を届…

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消えてしまった石畳みの景色...フォトエッセイtowazugatari

「石畳み」がある景色が好きだ。 僕が子供の頃の横浜は坂道と石畳みの町という感じで、あちらこちらに当たり前のように石畳みの坂道があった。   今いろんな街で見かけるのは、まるでクローンのように同じ顔をした石畳み。 あれはあくまでも「石畳み風」であって、僕が愛した景色とは全く違うもの。     僕が好きなのは、石のひとつひとつを、人の手作業で埋め込んだ道。   石の形はそれぞれ少しずつ違っていて、表面は平ではなくデコボコとした歩き難い石畳みの道だ。 当時の僕はまだ小さな子供

支え合う。互いの命を繋いで行く木々に想う...フォトエッセイ towazugatari

自然の森の中での話… 近くに生えている木と木は、根っこや枝を通してコミュニケーションをと…

「緩(ゆる)み」の時間の大切さ...フォトエッセイ towazugatari

つい忘れてしまいがちな感覚… その一つが「緩む」ということ。 「地球は行動の星」という言…

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いつまでも変わらずに在って欲しい人と空間...フォトエッセイ towazugatari

都会には、お洒落で素敵なレストランやカフェはたくさんある。 人気のあるチェーン店のカフェ…

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「育てる器」粉引きのマグ...フォトエッセイ towazugatari

粉引き(こひき)のマグカップ… 「粉引き」という技法で作られた陶器のカップ。 粉引きには、…

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会えなかった誰かへ、花に託したそのひと言...フォトエッセイ towazugatari

さりげない心遣いに、心が動かされた。 2019年まで個展でお世話になっていたギャラリー。 (そ…

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外を探しているうちは絶対に見つからない。自分の居場所は自分の内に在るのだから...…

数年前、僕は突然思い立って故郷に戻って来た。 それまで僕と関わりのあった色々を手放して。 …

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見なくて良いものは見えないままで。曖昧だからこそ穏やかな世界...フォトエッセイ towazugatari

僕の視力は 裸眼で左右共にぎりぎり0.1。 以前はコンタクトレンズを使っていたけれど、 目の中に異物がある状態がどうしても馴染めなくて、数年前にやめた。 眼鏡も煩わしく感じてしまうので、 普段はPC作業の時に、保護としてブルーライトカットのものをかけるだけ。 それ以外は、よほど必要でない限り使う事はない。 ちょうど時期を同じくして、さしたる理由も無く、 あんなに好きだった車の運転に急に興味を失ったこともあり、 コンタクトレンズや眼鏡が、必ずしも無くてはならない物ではなく