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🎥 God Help the Girl

★★★★★


感動とはちょっと別な次元で、自分にとっては愛おしくてたまらない大切な作品てのがある。よくできている上に、身に覚えがあったり腑に落ちたりすることだらけで、頬を緩ませ和ませたり、呼吸困難に陥れたり、元気をくれて調子に乗せたり、消えてしまいたいほど辱めたりと、心にある全ての琴線を無遠慮に爪弾いてきやがる作品たちだ。The Commitments が頂点にいるその一群に、God Help the Girl も加わった。

God Help the Girl
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本作はポップ・ミュージカルというジャンルに分類されるだろうか。21世紀に入ってからのミュージカル映画と言うと、(500) Days of SummerLa La Land なんかが真っ先に思い浮かぶ。それらは「うまい」作品だなとは思うのだけれど、正直この作品ほどにはのれなかった。思い返せば、劇中の音楽にエンターテインメント的技巧以上の意味を感じられなかったのだと思う。それら2作品が「ミュージカルにしてみました」という印象なのに対し、God Help the Girl からは「ミュージカルでなければならなかった」ぐらいの、のっぴきならない切実さが伝わってくるのだ。

僕自身がかつてはミュージシャンの端くれであったことは、本作が突き刺さることに大いに関係している。冒頭で述べた通り、身に覚えがあったり腑に落ちることだらけなのだ。レビューを見ると「ストーリーはふんわりぼんやりした感じ」という印象を受けた方が多く、その好き嫌いで評価が分かれているようなのだが、僕の目にはものすごく赤裸々で骨太な映画と映る。それは以下が描かれているからだ。


三つの引力

創作の引力:曲や歌詞を創造し、そこに何とかして独創性を織り込むことが、いつの間にか自身の一部になってしまっている。あらたまって志したわけじゃない。そっちに引っ張られて、されるがままにそうなったとしか言いようがない。

バンドの引力:音楽を始めると、バンドを組みたいという思いに駆られる。頭の中でいろんな楽器がなるのだから、当然といえば当然だし、苦楽を共にしたりケミストリーが生まれたりする仲間がいることへの憧れは、否定のしようもない。

土地の引力:映画の舞台であるグラスゴーや、マンチェスター、古くはリバプールやカンタベリーなど、ある時代の音楽ムーヴメントは地名と密接に結びついて、憧れの「音楽シーン」となり、僕らを引き寄せる。


不埒な真実と不愉快な現実

水は血よりも濃い:本作における「家族の不在」が気になるという人は、少なくないだろうと思う。僕は気にならない。音楽の方がよっぽど自分のことを理解し受け止めてくれることに気づいてしまった身には、音楽が与えてくれる潤いに比べれば血縁なんて大した意味を持たないし、関わらない方がお互い幸せだろうという思いもある。現実に血のつながりはあっても「血は水よりも濃い」は幻想でしかない。ミュージカルシーンの幻想の中にこそ痛いほどの現実があるのだ。
主要キャラの中で唯一 Cassie だけ実家にいるのは、彼女が何やかんや言いつつ家族愛に恵まれていることを暗に示し、Eve と James 窓に小石をぶつけて Cassie を呼び出す場面は、作品自体が家族という領域に踏み込むことを意図的に避けている証であり、一抹の切なさも表現しているのだと思う。描かないことで描いているのだ。

「シーン」の裏切り:先ほど「土地の引力」という話をしたけれど、実際にその場に足を踏み入れると、期待とのギャップを目の当たりにする。ある地域で生まれた素晴らしい音楽がそこ全体を素晴らしい場所たらしめているわけではなく、期待したイメージとはかけ離れた人々や事象に失望させられることもある。音楽シーンはある文化的一部分に過ぎず、肝心の音楽シーンの中にはある種のコード(※)があり、それに馴染めなければ、村八分の刑を受けたり、居心地の悪さで気分が悪くなったりする。

※「消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。」

ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』より


コードへの不服従

ポップ/ロックのミュージシャンをやっていると抱かれる一定のイメージがある。それに嬉々として乗っかって生きてる人は大勢いる。けれどそうじゃない人もいる。ただ歌ったり弾いたりしていたくて、ただ音楽的に独創的でありたくて、そうあろうと足掻いているだけなのに、それが音楽業界の内外両サイドでなかなか理解されない。居心地が悪い。さっきの「コード」の話だ。

モテるためにやってるわけじゃない。デカダンな生活とか興味ない。共感を呼ぶ歌詞かどうかなんて関係ない。音楽自体の中に自分の生を実感できる世界があるから、実感できる世界を作れるから、音楽と一緒にいたいだけ。

音楽が止んだ途端、さっきまでいいムードだった男子と所在なげな Cassie がたまらなく可笑しい。Eve や James ほど音楽にのめり込んでいない彼女の存在が、最も素直に無自覚に本質をついてる場面が所々にあって、脚本も演出も演技もうまいなぁと唸らされる。

メンバー募集広告を出したら、コードの外側にいるっぽい人たちがドワーっと詰めかけて戸惑う三人も微笑ましい。作り手の主張を絶妙且つ軽快に表現した、実に映画的で素敵なシークエンスだ。


必要な別れ

バンド解散やメンバー離脱に際して「音楽性の違い」という言葉をよく耳にするけど、音楽性なんてものはいくらでも拡張可能で、もっと根本的な価値観の違いが理由である場合の方が、実際には多いのではなかろうか。それはバンドに限った話ではない。バンドでも、会社でも、あるいは村や町でも、共同体というのはある種の目的を持って形成されたはずなのに、いつしかその維持や安住が目的化してしまうことは少なくない。そのこと自体は、よく起こることだし、人は本能的に安住を求めるものなのだろうから、決して悪いことではない。けれど、本来の目的にフォーカスしている者は、違和感と疎外感を抱いてしまう。根っこの生えている場所が違うと、反目するまではいかなくとも、一緒に居続けるのは難しい。


虚構という真実

映画前半、Eve は拒食症で入院生活を送っている。謂わゆる現実と、自分が身を委ねたい世界との間にあるギャップに苦しめられていたのだろう。( ´ -`) . 。 ○(理由をわざわざくどくど語らない、語らせないところが、何でもかんでもキャラに言葉で説明させる鑑賞者を舐め腐ったどっかの国のエセ映画人どもがつくるゴミ映画どもと違い、この作品を良品たらしめているなぁとつくづく思うんだが、それはまぁそれはいいとして)Eve は、音楽を通じて世界の美しさに触れ、音楽を通じて現実との折り合いをつけようともがく。歌っている間、奏でている間は、世界は美しいものであってくれる。世界は美しいのだという彼女にとって大切な真実を信じさせてくれる。ミュージカルシーンの虚構は、真実のイメージだ。もう一つの大切な作品、Dancer in the Dark が思い出された。

これは僕という一個人の一解釈に過ぎないのかもしれないけれど、そう解釈せざるを得ないだけの下地が僕にはあり、そう解釈してしまったからには感情移入せずにはいられない。話を前項(必要な別れ)に戻すと、音楽をきちんと学ぼうという彼女なりの前向きな選択と旅立ちにも、深く頷ける。己を磨くことで、真実と現実を繋ぐ折り合いの糸を、より強靭にしたかったのだと思う。

そんなこんなで、琴線をちょされまくった。世間様ではどうだか知らぬが、僕にとっては狂おしいほど愛おしい傑作!


  • ★★★★★ 出会えたことに心底感謝の生涯ベスト級

  • ★★★★☆ 見逃さなく良かった心に残る逸品

  • ★★★☆☆ 手放しには褒めれないが捨てがたい魅力あり

  • ★★☆☆☆ 観直したら良いとこも見つかるかもしれない

  • ★☆☆☆☆ なぜ作った?

  • ☆☆☆☆☆ 後悔しかない



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