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学校図書館への愛を叫ぶ

 思えば、学校図書館に救われたと言っても過言ではないかもしれません。
その恩を返すべくここ2年、夏休みの一部を司書教諭免許の取得の為の講習に宛てています。
非常勤講師の身分で自由が効くうちにと思い立ち、今年度全ての単位が揃う予定です。

教員になるような人、ましてや司書教諭を取るような人はみーんな図書館が大好きなものだと思っていた。
どうやらそうでもないらしいと気が付いたので図書館活用の啓蒙に努めていきたい所存です。
ひとつ私の思い出を語らせてください。


田舎の子供と学校図書館

 車1人1台地域のド田舎の出身である。
こういう地域の子どもには行動の自由は無いと言っていい。
どこに行くにも親にお伺いを立てて連れて行ってもらわなければならない。
さらに両親共働きと来ればどうしようもない。
ちなみに市内の映画館は0館。
往復5kmのイオンですらない商業施設まで友達と連れ立って田んぼの畦道を自転車で飛ばした。

 そんな田舎の小学生だった私には図書館が夢の国だった。
博物館や科学館には行けなかったけれど、図書館には学研の図鑑があった。
動物園や昆虫館には行けなかったけれど、シートン動物記やファーブル昆虫記があった。
映画館や劇場には行けなかったけれど、沢山の物語があった。
美術館には行けなかったけれど、古い画集が天井まであった。

沢山の本が子供の私を何処にでも連れて行ってくれた。

訳あり家庭と学校図書館

 小学校高学年で 家庭の事情で大阪近郊に引っ越しをした。
私は田舎の小学生ではなくなり、ある程度の行動の自由を手に入れたが、同時に母子家庭になってしまった。
すると経済的、時間的制約から引き続き、文化資本から遠い生活が続いた。
それでも学校図書館はいつもすぐ側にあった。

 また、田舎者が教育熱心な地域に引っ越したものだから、同級生たちにもうまく馴染めず息苦しい日々を送っていた。
家庭と学校、両方が不安定だった時期、本の連れて行ってくれる世界は安息だった。
自分が干渉する心配が無く、行き先が決まっていて、文字を追いさえすれば進行する世界は安心できた。

図書館は保証された救済

 生まれた場所、親の忙しさ、親の関心の有無、経済的制約、子供が文化資本にありつけない事情はたくさんある。
義務教育として全ての子供に開かれた学校図書館とそれに係る図書館教育は、子供に教育格差を自らの力で埋めて、覆していく武器を与える。

どこまで行っても十分という事は無いのだけれど、どんな子供たちにも手の届く学校図書館をしっかり整備して、使い方を教え、サポートする事は救済だ。

読書と学習

 読書量と成績は比例しない。
学校の教科学習の範囲で見ればそうだろう。

ただし、研究ができるのは本が読める人だ。さらに言えば探せる人だ。
周りに詳しい大人がいなくたって、先生が教えてくれなくたって、関心のある事を追いかけ、1人で先へ先へ走っていく。

学校を卒業した後、社会人になってから、誰も教えてくれなくなってから学校図書館の経験は生きてくる。
学校なんて卒業してからの方がずっと長い。
生涯学習で適応し続ける事を必要とする現代において、本が読めることは尚更重要だと感じる。


 私自身も、去年司書教諭の講習を受講し始めてから、かなり積極的に授業での図書館活用を始めました。
美術での図書館活用についても後々記事にして公開していきたいです。
図書館教育の一助になる事を願います。

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