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作品を褒めるのは、その人の中に同じ美しさがあるから
今日ぼんやりとSNSを見ていたところ、とあるツイートが目に飛び込んできた。
高校生のときからずっと見ている、漫画家のおかざき真里さんのツイートだ。
この台詞は もうずっと拙著読者の方に対して思っていること。
— おかざき真里『かしましめし』4発売中 (@cafemari) January 29, 2017
作品を褒めるのはその人の中に同じ美しさがあるからだと思うのですよ、まるで自己紹介を読んでいる気になるのです、作品は読者を映す鏡にしかならない。→ https://t.co/CYnvBkR2Fs
「作品を褒めるのは、その人の中に同じ美しさがあるからだと思う」との一文を読んで、思わず時が止まったかのように感じた。
今まで色々な作品を鑑賞して、何度も心の中で繰り返して。
一人で「あの作品は凄かったな」とか、「あの演出家の先生の演出はやっぱり好きだな」とか、色々考えていた。
色々な作品と出逢えば、作品を褒めることも多くて。
「演出が美しい」とか、「キャスティングが素晴らしい」とか。
今までもいろんなことを思ってきた。
でも「なぜ私がその部分を褒めたいと思ったのか」について考えたことは一度もなかったけれど、今日このツイートを読んで、答えをもらったと言うか、どこかにストンと収まったかのように思う。
思えば、同じ作品を鑑賞しても一人ひとり感想文が違うように、同じ作品を観ても褒めるポイントは異なるのだと思う。
それは人によって感性が異なるからで、またそれは、人が持つ"美しさ"が異なるからだとも感じる。
こんなことを知ってしまったからには、他の人が、私の好きな作品を褒めている文を読みたくて仕方がなくなってしまった。
きっと他の人は、私は感じていない点に魅力を感じ、その作品を褒めているのかと思うと、居ても立っても居られない気持ちである。
そう。そんな風に私と同じような誰かも思っているのかもしれないと感じ、拙い感想でも、書いてみようかなという気持ちにさせられたのだった。
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