子どものロールモデル≠センセイ
いや、急に白川寧々氏からツイートが飛んできまして。
だそうで、急にTwitterに通知がきました。
確かに『教員として』という感覚はほぼゼロでやってますね。唯一あるとすれば、時間になったら教室に存在するぐらいかな。これも減らせたらいいなとは思うですけど。
いわゆる教員って、何かに縛られてますよね。なんだかわかんないけど、偉そうな先生方にあーだこーだ言われて『教員とはこうあるべき』って閉じ込められちゃうの。
別にね、それでもいいんですよ。ただし、その偉そうなことを言ってる先生が話を聞くに値する人間だったらですけど。何人かはいますよ、自分のロールモデルにしている先生。その人って、先生のロールモデルというよりは、人としてのロールモデルです。
元々、教員としてではなく、1人の大人(というか人間)として子どもの前に立っているだけなので、その大人のクオリティは上げておこうと日々努力しています。「黒魔術」に対して『ばーか』といい放つ感性は持ち続けないといけないですよね。あれって表面だけ真似てたら、アホみたいですから。江戸しぐさとかちくちくことばとか、もう、アレでしかないです。
ってこと言われたんですよね。これ嬉しかったな。
『「教員の立場だからそれは難しい」って言わなかった』って。教員の立場だからってなんだかよくわかんないですよね。ボクは休みたいときはちゃんと休みを取りますし、仕事するときは仕事しますし、必要なことには時間を費やします。
教員の立場だからっていうパラダイムでなんだかよくわかんないことになっていて、○○するべきみたいになってたとして、そんな大人に着いていきたいですかね。ボクはイヤです。人間であることをやめたら子どもの前に立っちゃダメですよ。
目に届く範囲で、困っている児童生徒たちのロールモデルになれるのかなと。ゆるゆると、社会の人とつなげるセンセイ。オフラインでも会いに行けるセンセイ。オンラインでもしたらいいのかな。困っている子どもたちのメンタリングします的な。もうちょっと練ってみます。
1人の人間でカバーできることなんて、限られているんですから、はやく先生という職の人たちが肩の力を抜いて、学校外の人たちに助けを求めにいける社会になればいいのになと。
いただいたサポートは、誰でも教員と会って話せる『会いに行けるセンセイ』の活動に利用させていただきます。