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「わたしが決める」をしませんか?

人のお話を聞くのもお仕事みたいになっている会いに行けるセンセイです。学校(教員)のセカンドオピニオン的なことをやっています。

先日、香川に招いていただき、保護者の方と言葉を交わしたりしているわけですが、ちょっと気になっていることがあります。

「〇〇が心配です」「〇〇が不安です」という保護者の方からの声を耳にすることがあります。お子さんのことを心配する気持ちは十二分に理解しています。先が見えないですから、そう感じますよね。

ただ、1つ不思議に感じることがあります。その心配や不安な気持ちを当事者である子どもたちに伝えないのは何故なのでしょうか。隣で様子を見ている大人として心配や不安であることを伝えることはしていいのではないでしょうか。

伝えても、子どもたちの行動は変わらないかもしれません。でも、子どもたちに大人の気持ちは伝わります。伝えることで、「あぁ、心配してくれているのか」「不安に感じているのか」ということは心に残ると思います。その結果として、行動が変わるのかは別の問題です。

子どもの行動は、主体である子どもが変えることしかできません。前述したように、親からも変えることはできません。もちろん、教員からも変えることはできません。勉強をしない子どもに対して、宿題を出したところで、主体的に向き合うわけではないですよね。本人が学びに向き合うようになるにはどうしたらいいのか。声をかけ続けるしかないんじゃないかなと思うのです。

長いこと教育の場にいると「勉強するようにしてください」「宿題を出してください」「厳しくしてください」というようなお願いを何度も耳にしています。若い頃はそのようにしたこともありますが、子どもの行動が主体的に変わった例を見たことはありません。

子どもの行動の変容が見えるのは、大人が子どもと向き合って気持ちを伝えて対話をした場合だけ。一方的なお願いでは何も変わらないです。一方的なお願いって、子どもにとっては大人の思い通りになりなさいってことですから。逆の立場ならしませんよね。

行動は、行動の主体である「わたし」にしか変えることができません。「勉強するようにしてください」「宿題を出してください」「厳しくしてください」って、大人自身の行動は変えず、他人の力(それも学校という権力的なもの)で支配すると子どもはどう感じるのでしょう。子どもたちは、自分の行動を変えない大人をみて、子ども自身も行動を変えなくてもいいと理解しているように見えることがあります。

子どもの行動が変わってほしいと願うのであれば、あなたは何を変えますか?他人の行動は変わりません。自分の行動を変えるのであれば、何ができますか。それを決めていいのは自分自身です。

わたしの行動は「わたしが決める」でいいんです。他人は変わりません。わたしの行動をみて、それを見てそれぞれが考えて行動を変えていくものなので。

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