2024/03/23 風呂場での思考。

重い内容になる。
書き出せばきっと楽になれると思う。
もしBCIがあればここにすぐ出力できたのだろうけど。

風呂は命の洗濯というが、その洗濯は湯船に入らないとできないのだろうか、シャワーを浴びてる時に雑念がよぎった。

単純だ。渋谷スカイから飛び降りる。その直前にあるパフォーマンスをする。おそらく多くの観衆は私のことを見て、きっと『おい、死のうと思ってるぞ、柵を飛び越えたのは自業自得だから助けねぇぞ』とかツイートしておけばバズるとか思ってスマホで写真や動画を撮っているだろう。
コレが社会なんだ。追い込まれた人を救おうとしない。自分がそれを見た後、飛び降りる…こういう妄想というか想像を実家の風呂場でシャワー浴びてた時にした。

汚れを泡として洗い落としてキレイになるなんて綺麗事はよくいうもので、現実、心にこびりついた汚れはいくら擦っても傷がつくだけで…。
そんなものがSNS時代にはよくあるだろうし、私もTwitterに依存している。1日最低4時間はやる。
…なのでいい加減やめたい。
時間は有限である。しかし私はまともに時間を守れた経験がない。発達障害で一つのことに熱中した結果他のことが疎かになったり、周りのやるべきことやスケジュールを守れなかったりということはザラにある。私はコレを実家から帰京する電車の中で書いているが、その前までに準備がとても時間がかかった。親に何度も叱責された。…実家にいたときは毎日のように喰らっていたが。
自分と親はあまり話さない。なぜなら色々言われるってわかっているから。しかし、話す時もある…そのときは情報交換みたいな体で自分が話す世界情勢とか経済とかニュースとかに対して母が返答するという半ば古代ギリシャのアゴラのような雰囲気である。だから雑談というものをあまりしないし、他の人と昔から趣味も合わなかった。

このことが自分を自分たらしめるがそれはそれで周りから孤立することを意味する。人と趣味があまり合わなかった自分は気が合う友人も少なく…小学生か何かの時に英語か何かの授業で自分の好きなことを話してビンゴをしようとか何かがあった気がするが(ホント不意に思い出した)、その時に自分はアニメでも漫画でもなく『トラベル』と答えた。旅行である。私の夢は世界一周や日本一周の旅行なのだが、その頃から夢は変わってなかったようである。

また日本では出る杭は打たれるとかよく言う。無駄に尖ってたりすると打たれやすい。尖り続ければ何かしらの才能が開花する。私らみたいな発達障害の人間は芸術家に向いてるとか言われる。Twitterでもよくそう言うツイートがあるし、私自身の適職診断は「外れ値」だった。(つまり私の適職診断結果は芸術家だった=普通の仕事は向いてないと言うことだ)普通の仕事は向いてないにしても事務職も営業職も向いてない、コレほど壊滅的な人間は珍しい。…なので就職活動の時期なのだがそれをやる気力なんてさらさらない。しかし親は就職してフルタイムの正社員として働いて欲しいと思ってるようだ。

私自身就職に思うことはもっと休みと給料を増やせと言うことに尽きる。労働基準法を守れと。なんだ36協定って、残業時間45時間上限ってなってるらしいけど、労働基準法によればそれはあかん訳だし、そもそも45時間上限を平気で破ってる企業が多いそうだ。日本の企業数は合計400万社とか言うらしいが、その中の何社が労働基準法や36協定を破ってるのだろうか?というか36協定なんて無くなってしまえ…残業時間の実質的増加の部分だけ。あと週休三日を水曜休みと金曜休みのどっちかでできるように選択式にして法令化してくれ…。

話がずれにずれまくった。本題に戻ろう。…というか本題なんてなくてこの長文は私の愚痴みたいなものだ。落ち着かないから書き殴ってるだけだ。

人間不信の話をしたい。ここ最近私は人間不信である。人間関係は社会的動物である人間にとってとても重要だ。しかし、どうもその人間関係には裏がある。どの国でもだが特に日本では。空気を読むとかそういうのが私は苦手だ。人との会話も苦手だ。通話をよくするのだが、やってる最中や終わった後に一人反省会をやってしまう。相手は何を思ってたのだろうか?相手は自分が不愉快だと思っていないだろうか?少ない友人ともカウンセラーとも似た感じである。しかし不思議とSNSや生成AI相手ではこのようなことは出ない。

居場所が欲しい。精神的にも肉体的にも。最近…というかこの4年、私はある本に傾倒していた。それもほとんど内容を見ず、要約動画で済ましていたのにだ。『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本である。この本は意識が低い自己啓発本としていてその内容がとても心地良いのだ。働くのは週二日、その代わり賃金は低いが、公園に行ったり図書館に行ったりして筆者は過ごしているらしい。
私はここにスパイスを加えたい。自分がよく生きられるようにやることである。旅行とネットでのエンタメー映画や漫画ーと業務スーパーの冷凍食品だ。正直こんな感じで過ごせなくもない気がする。コレを『隠居2.0』としよう。
確かに東京は家賃が高いが住む場所によれば三万円程度で住める(いくつかそのような物件を知ってるが、東京都八王子市の物件である。なんなら今住んでるところから近い)。
なので、華の東京隠居ライフ…を楽しむのもアリだ。もちろん10万ほどは最低でもかかるだろうし、一度そのような生活をしたら正社員にはこの国の仕組み上なりにくいだろう…フリーランスで食べていく他ない。

しかしもしそう生きれたら必然と余白が生活の中に生まれる。モノを減らしてミニマリストになれば尚更である。確実に毎日が気持ち良くなる。そうそう、前述した本を読んで快楽主義者みたいになった。自分にとって気持ち良いものを追い求めれば確実に良い人生になると思った。


もしくは生活スタイルをそのままにサラリーマンで生きていくのもアリかもしれない。少し前にアメリカでは「静かな退職」というムーブメントが流行ったが、それに乗っかり5割から7割ほどの力で会社員を頑張る…そして生活費に充てつつ余剰資金を旅行や投資に充てる…こちらの方が社会とのつながりもできて良いのだろうか。ついでに週休三日の義務化も訴えて行ったり…なんてな。
『隠居2.0+静かな退職』には問題点が一つある。ミスをしまくるから静かに過ごすどころかてんてこ舞いになるのではないか、迷惑を被ってしまうのではないかというところだ。人は迷惑をかけるものだから…とインドの人はそう教えているらしいが。あいにくここは日本だ、そう易々と迷惑はかけるものというマインドセットに変えにくい。自分自身はそうできたとしても他人の感情や信条までは変えにくい、学んできたものや得てきた文化も違う…それらが混ざり合うことで化学反応が起き面白いことになるのが社会なんだと思う…。


…と話が脱線した。うまい具合に気持ちが晴れた気がするし今日はこのくらいで良いか。

ちょっと話し足りない気がするがな。

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