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隠居したい、若いうちに。と思っていたが...

母と話をした。

というのも母が自分の住んでいる下宿先に来て、私がまともにやってない日常の家事を済ましてから、外食をしていつの間にか就職の話になっていた。
どうやら自分の周りはもうインターンとかをやっているようで、しかし私は焦らないというか、なるべく焦りたくはなくて、自分のペースでやっていきたくて。しかし親はLINEでも正社員か公務員になれと言ってくる。
しかし、現実問題親に従った方が何かと生きやすかったりするのかもしれない。別に押し付けられているわけではないが、私は既に親の財力によってある程度裕福な生活をさせてもらっている。例を出すと 私の親は「良いほうに狂ってるバカ」とでも言っていいのか、シャインマスカットをよく買う。し、実家に居たときは私もよく食べていたのだが、それを母が職場に持っていくと、「今年初めて食べた」と口々に言っているのである。私の家では既に2回とか3回とか食べたにもかかわらず。
やはり私の家はある程度裕福なのだろうと思う。
それは大学生になって仕送りと言うものを通しても何となく分かる。コンビニで平気で1000円ほど買ってくるし。まるで父が転職したことを忘れたかというほどに。
親が言うには、自分の地元は保守的な地域で、 幹線路線の駅を置かなかったほど昔にしがみついている。しかもその昔の慣習を守りすぎたために、今のITだとか社会の変化についていけずに工場が乱立して、周辺の中規模都市のベッドタウンと化しているのが私の地元である。(私自身の勝手な想像が多分に含まれているが。)
私はその街の小学校でいじめに遭い、それから絶対に東京に出ると(ここでは多分東京で働くという意味は無い、東京での大学に行くと言う意味だと思う)頭で誓ってからずっとそのように動いてきた。現に私は東京の郊外ではあるが 一東京の大学に通っている。 ここが意外に住み良いところである。 家賃がバカ高いのと、物価が年々高くなっているのと、気候の寒暖差が激しいところを除けばだが。
私の親は2人とも自分の育った県外の出身である。 しかしそのおかげで自分は親の帰省や単身赴任先の旅行、はたまた母の芸術鑑賞のための旅として500km移動する…などなど、いろんな街に行けたという経験が備わり、旅行好きになったと言える。
私は社会人になったら、そのような経験がしたい…というか続けたいと言うのが私の興味という羅針盤の根底にはある気がして、むしろそれさえあればいい、そうか奈良激務で有名な日本社会で働くのは辞めて「隠居」生活を若いうちから始めよう!と思っていた。バイトで月に八万円や九万円稼げばどうにか暮らせるだろうと。然しそう簡単には行かない。

1度上がった生活スタイルは下げられない。

今、あいにくこのことを実感している。毎月80,000円とか90,000円とかが、生活費に消えてしまうのが、今の日本の現状であるというか、これでもすごい切り詰めないと生きていけないというのが、やはり日本が先進国なんだろうなぁと言う実感を与えてくれる。
月に20万稼いでいても、その生活スタイルをどうにか維持していかないと自分が生きられなくなると漠然と思っているのかそれとも真剣に考えていないのかどちらかなんだろうなとか思ってしまう。それに自分も多分そう思っている。多分自分は自分のことを真剣に考えていない。どちらかと言うは興味の赴くままに動いていると言うところがある。 それに考えすぎたら考えすぎたで、感覚麻痺に陥る気しかしない。

「 何事もほどほどに」 とよく言うし、私もそのマインドで生きていたいと思うが、そのように生きていたらこれからの日本社会やグローバル化していって、新しいものがどんどんどんどん入り込んでくる日本において、おくれてしまうから流暢にはしていられないだろう。
「人生は勉強だ」とよく言う。やはりライフシフトってのが物を言う。漫画版二巻目買おうかな…。

人生のレベルは簡単に下げることができるが、努力しないと上がらない。よって現状維持が1番楽(かもしれない)。

結局のところこれなのか?

「隠居したい」という思いと、今の生活を維持していかねばならないというこの間には乖離があるように思う。

でも、自分の興味と能力が続く限りは、少しずつ自分の道を歩んでいきたいものである。親の期待とはまた異なる道もあると思う。

社会からの期待とか束縛から逃れる「隠居」と、新しい出会いと刺激から学び続ける生き方は両立できないかも…違う?

自分らしさを壊さずに、流れに乗れる部分だけは受け流していく姿勢が一番良いのかもしれない。。。

完全な「隠居」が現実的ではなくても、自分のペースで生きられる範囲を見つけられたらと思います。自分探しの旅は続きそうだな、と。

もしかすると、一人前の社会人になる必要はないかもしれませんし、「隠居」も完全な形では実現できないかもしれません。でも自分らしさは保ちながら、流れに乗っていける姿勢が一番大切なのかも知れない。

出来ることならこう生きてみたいが、ほんとにどういう生き方をすればいいのか迷う。だからいっそ流れに任せるのも手である。福利厚生の手厚い会社に務めるか、ビジネスアイデアコンテストに出た経験を起業に活かすか、自分はADHD診断を中学の時に受けてるからそれで障害者雇用か何かで働いて障害年金もらいつつ生きるか、それとも実家に戻ってすねかじり、ニート、生活保護か。考えられ得る道が多すぎるし、「最悪の状態を考えないとなんだか生きていけない気がする」。Ending memeってのが一時期流行ったが、それを「自分の人生の選択」ってタイトルで作れるほど多い。

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