旅する百人一首~97番 来ぬ人をまつほの浦の
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家
きっと来ないと思いながら、それでもあなたを待つ、まつほの浦で、風が止まる夕なぎの頃、塩を作るために海藻を焼きます。じりじりと焦げていく海藻のように、私自身も、毎日毎日あなたの訪れを待ち焦がれています。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
百人一首の撰者の藤原定家が、自分自身の歌の中から選んだのがこの歌、つまり、定家の自讃歌ですね。恋人の訪れを待つ、女性の立場で詠んでいます。
さて、定家の時代は「本歌取り」という和歌の技法が大流行しました。昔のよく知られた歌の語句を、それとわかるように〈あからさまに〉取り、新しい視点を付け加えて詠みます。
みんなが知っている、もとの歌の良いところをうまく活かさなくてはならないし、目新しいアイデア(趣向)も加えなければならない。現代人は、本歌取りと“パクリ”を混同して、なんでもかんでもマイナスの評価をしがちですが、なんのなんの、人々に感動を与える本物の本歌取りはとても難しいのです。
「来ぬ人を」の歌は、万葉集の笠金村の長歌を本歌取りしています。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(神亀)三年〔726年〕丙寅秋九月十五日、播磨国印南野に行幸した時、笠金村が作った歌一首
なきすみの ふなせゆ見ゆる
あはぢしま 松帆の浦に
あさなぎに たまもかりつつ
夕なぎに 藻塩焼やきつつ
あまをとめ ありとはきけど
みにゆかむ よしのなければ
ますらをの こころはなしに
たわやめの おもひたわみて
たもとほり あれはぞこふる
ふなかぢをなみ (万葉集)
名寸隅の 船泊から見える
淡路島の 松帆の浦に
朝凪には いつも玉藻を刈り
夕凪には いつも藻塩を焼く
海人乙女が いると聞いているのだけれど
逢いに行く 手段がないので
強く勇ましい 心はなくて
なよなよと 心がくじけて
行ったり来たりして 私は恋しく思うのだ
舟も楫も無いので
ーーーーーーーーーーーーーーーー
名寸隅(なきすみ)は現在の兵庫県明石市の地名で、松帆の浦はその対岸の淡路島北端の地名です。
定家の歌は、万葉集の歌の、「松帆の浦」「夕なぎに藻塩焼きつつ」という語句を取り込み、また〈逢いに行きたいけど行けない、だって舟も、舟を漕ぐ楫もないんだもの〉となんとも煮え切らない男の気持ちを「来ぬ人」(=待っていても来ない人)と要約、そして、〈来ないとわかっていても、恋人の訪れを、風の止まった時間に藻塩を焼くように、一気に激しく燃え上がるでもなく、ただジリジリと待ち焦がれています〉と海人乙女の気持ちを詠んでいます。
百人一首の定家の歌を単独で味わうよりも、本歌とした万葉集の笠金村の長歌と一緒に味わったほうが、定家が詠んだ、海人乙女の気持ちがより強く伝わってくると思いませんか。
定家の歌は建保四年〔1216年〕に催された内裏百番歌合で発表されました。笠金村の歌が詠まれたのは、万葉集の題詞によると、726年。ざっと490年の時間を経て、返事の歌がとどいたのです。
松帆の浦へ
笠金村は〈舟が無いから行けないよ〉とイジイジしていましたが、現代の私たちは、船で淡路島に渡ることができます。
向かいに見えるのは淡路島。近いね。
明石港から岩屋港までは、たったの13分。風が気持ちいい~。
あっという間に淡路島に上陸。〈あわ神・あわ姫バス〉で松帆浦まで行こうと思います。岩屋ポートターミナルから〈反時計回り〉のバスに乗ります。
発車時間まで岩屋港の近くを探検し、ようやくバスに乗り込んで、発車。松帆の浦にある「来ぬ人を」の歌碑をめざします。松の並木だ!
まず海岸に行きました。向かいに神戸の町が見えます。このあたりで海人乙女が塩焼きをしていたのかな。
歌碑は、眺めのよい高台にありました。
岩屋港に戻るバスをまつほのバス停。「待つ」と、松帆の「まつ」の掛詞なり(解説)。
名寸隅(なきすみ)に行ってみようかな
ふと思いついて、笠金村が、万葉集の長歌を詠んだ「名寸隅」にも行ってみることにしました。
明石港に帰る船は、すごく派手でした。めでたい(鯛)!
松帆の浦はこのあたり。
明石港に着いて、明石焼を食べて(今回は店の選択を失敗。次回に期待)、山陽電車に乗って魚住駅に行きました。JRにも魚住駅はありますが、山陽電車の魚住駅のほうが、目的の住吉神社にだんぜん近い。徒歩5分。
住吉神社に着きました。手前は能舞台でしょうか。後ろの楼門は江戸時代のものとか。
住吉神社の境内を抜けて海岸に出ました。「名木隅」はこのあたり。左に見えるのは淡路島だけど、うーん、想像していたよりも遠くに見えるなあ。
もうすこし、東に向かって歩いてみましょう。
なきすみの ふなせゆ見ゆる
あはぢしま 松帆の浦に・・・・
笠金村の気分で口ずさみます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?