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紫式部に近づきたい 女ともだち(3)

今回は、紫式部の一番の親友といってよいのではないかと思われる友達との和歌の贈答です。

*詞書と和歌を現代語に訳しました。和歌の現代語訳の上の▼は紫式部が詠んだ歌、▽は紫式部以外の人が詠んだ歌です。

(一五)

ーー姉だった人が亡くなった私と、また、妹を亡くした人が、互いに出会って、亡くなった人のかわりに仲良くしましょうといった。手紙の上書に姉上と書き、中の君と書いて文通していたが、おたがいに遠い土地に行って別れることになったので、離れたところから別れを惜しんで

北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして
▼北に向かう雁のつばさにお手紙を託してください。雲の上のように離れてしまいますが、手紙を書き続けてくださいね。
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この歌の「雁のつばさに ことづてよ」という表現は、漢の蘇武が匈奴に捕らえられたとき、雁のつばさに手紙をつけて王宮に送ったという故事を使っています。

古今集に、
秋風に 初雁がねぞ 聞こゆなるがたまづさを かけて来つらむ
・秋風が吹いて、初雁の鳴き声が聞こえるようだ。だれの手紙をもってきたのだろうか(秋上・二〇七・紀友則)

という歌があって、「雁のたまづさ」「雁のたより」などと和歌にも詠まれています。

雁は、秋になると北から日本に飛来し(初雁)、春になると日本を離れて北に帰る、渡り鳥。だれかの手紙をつばさにつけて飛んで来たり、飛んで行ったりしていると想像すると、すごくロマンチックです。

ところで、大河ドラマ「光る君へ」には、紫式部の姉は登場しないみたいですね。

(一六・一七)

ーー返事は、西海に行く人である

ゆきめぐり たれもみやこに かへる山 いつはたと聞く ほどのはるけさ
▽遠い地をめぐって、誰もが都に帰るという、かへる山や五幡いつはたは、いつまた会えるのと聞くぐらい遠いところなのね

ーーの国というところから、寄こした

なにはがた 群れたる鳥の もろともに たちゐるものと 思はましかば
▽難波潟に群れている鳥たちのように、いつも一緒にすごせるものだと思えればよかったのに。

ーー返事

  (一首分空白)
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この二首は、友達が、筑紫に向かう途中で詠んだ歌です。

一六番の「ゆきめぐり」の歌には、紫式部がこれから行く越前国の地名「かへるやま(帰山)」「いつはた(五幡)」が読み込まれています。旅の安全を願う気持ちが込められているのでしょう。

一七番の「なにはがた」の歌は、仲良く遊ぶ鳥たちの群れを見て、うらやましくなったのかもしれませんね。紫式部の返歌は、一首分空白になっていて、伝わりませんが、きっと同じ気持ちだったのでは。

(一八・一九)

ーー筑紫の肥前という所から寄こした手紙を、とても遠いところで見た、その返事に

あひ見むと 思ふこころは まつらなる 鏡の神や 空に見るらむ
▼会いたいと思う心は、松浦にある鏡明神が、空から見ていることでしょう。

ーー返事、次の年に持って来た

ゆきめぐり あふをまつらの 鏡には たれをかけつつ 祈るとか知る
▽遠い土地を巡り、再会を待つ、松浦の鏡に、誰のことを思って祈るのか、知っていますか。
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姉上と慕っていた人は筑紫国肥後に行き、紫式部は父の国司赴任に同行して越前国に行きます。もちろん当時は郵便もメール便もないので、手紙を送るには、例えば筑紫国から都に行く人を探して手紙を託し、次に都で越前国に行く人を探して手紙を託すといった、たいへんな手間と時間がかかりました。それでもふたりは手紙のやりとりを続けています。

(三九番)

ーー遠い所に行ってしまった人が亡くなってしまった。その人の親兄弟などが都に帰ってきて、悲しいことを言ったので

いづかたの 雲ぢと聞かば たづねまし つらはなれけん 雁がゆくへを
▼雲路をどの方角に行ったのかを、もし聞けたら探しに行こうかしら。列を離れた雁の行方を

この歌、誰が亡くなったのか、はっきり書いていませんが、死を悼む歌(哀傷歌といいます)に、15番の贈歌で詠んだ「雁」を詠んでいることから、姉上と慕っていた友達が亡くなったのではないかと考えられています。永遠の別れとなってしまいました。

女ともだち編 おわり

2024年1月9日記

女ともだち(1) 紫式部集 1、2、6、7番
女ともだち(2) 紫式部集 8、9、10、11、12番

結婚(1)    紫式部集 28、29、30、31番


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