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紫式部に近づきたい 結婚(1)

ツンデレ紫式部

「ツンデレ」。短大の授業で百人一首の周防内侍の歌を解説したときの学生のコメントに、「ツンデレな解釈がおもしろかった」とあって、ツンデレって何?と思ったのが、この言葉を意識したきっかけです。

「ツンデレとは、冷たい感じのツンツンとした態度を取ったかと思えば、デレデレと甘えた態度を取ること、あるいは、そのような態度を取る人のことを指す言葉です。ツンとデレの配分によって、「ツン多め」などと表現することもあります」

Domani 小学館

この説明によると、紫式部は「ツン多め」かな。

紫式部と藤原宣孝との、結婚前のやりとりを読んでいきましょう。紫式部、はじめは自分の歌ばかり並べていますね。

996年の秋、紫式部は国司となって赴任する父とともに、越前国に行きました(旅の行き帰りや越前国滞在中に詠んだ和歌は、後日あらためて紹介します)。越前国には宋の国から来た人たちが一時滞在していました。

(二八・二九)

ーー年が改まって、「外国の人を見に、そちらに行こう」と言っていた人が、「春は、凍っていたものがみな解けるものと、なんとかして分かっていただきたいなあ」と手紙でいってきたので

春なれど しらねのみ雪 いやつもり とくべきほどの いつとなきかな
▼春だけれど、それを知らない白山の雪はいよいよ積もって、とける時期はいつともわかりません。

ーー近江守の娘に求婚しているという人が、「二心ふたごころはありません」などといつも手紙に言ってくるので、わずらわしくて

水うみの 友呼ぶ千鳥 ことならば 八十やそみなとに 声たえなせそ
▼湖の「友呼ぶ千鳥」のようなあなたは、いっそのこと八十の湊に、つまりあちらこちらの女性たちに求婚し続ければいいのよ
ーーーーーーー

「そっちへ行くよ」と軽く言っている人が、のちに結婚する藤原宣孝です。「光る君へ」では一回目から登場していましたね。宣孝は、紫式部の父の為時とほぼ同じ年齢なので、紫式部とはかなり年齢差があります。

二八番の「春なれど」の歌では、春になったので、かたくなな心がとけて、求婚を受け入れてくれないかなと期待する、宣孝の手紙に対して、〈いつとけるかわからないわ〉とそっけない返事です。なぜなら、次の二九番の「水うみの」の歌、宣孝が近江守の娘にも求婚していることが、紫式部の耳に入っていたからです。平安時代の情報網、おそるべし。

(三〇)

ーー歌絵に、海人が塩を焼いているところを描いて、伐りだして積み上げた投木なげき(薪)のそばに歌を書いて、返事した

四方よもの海に しほやくあまの 心から 焼くとはかかる なげきをやつむ
▼四方の海で塩を焼いている海人が、心から焼くというのは、このような「投木」ならぬ「嘆き」を積んでいるのでしょうか
ーーーーーー

三〇番の「四方の海に」の歌では、紫式部がわざわざ歌絵を描いています。歌絵は、和歌の内容を表現した絵のこと。宣孝から送られてきた歌は書かれていませんが、当時よく知られていた、

すまのあまの れる塩木しほぎの 燃ゆれども 人にしられぬ わが恋ならん
・須磨の海人が伐採した、塩釜で海水を煮つめるのにつかう薪のように、心は燃えているのに、恋しい人にはわかってもらえない私の恋なのだろう(古今六帖・五「人しれぬ」・二六七九・壬生忠岑)

の歌のように、海人が塩を作るために焼く薪のように、あなたを思って胸を焦がしていますといった内容の歌を送ったのではないかと推測できます。

それをうけて、塩焼く海人と投木なげき(「嘆き」と掛詞)の絵を描き、和歌をそえて送り返している紫式部、そこまでするということは、ほんとうは宣孝のことが気になっているんじゃないの?

(三一)

ーー手紙の上に、朱というものを点点と注ぎかけて、「これは涙の色」などと書いている人の返事に

くれなゐの 涙ぞいとど うとまるる うつるこころの 色に見ゆれば
▼紅の涙なんて、ますますいやになります。心変わりの色に見えるので      
ーーーもともと、ほかの人の娘と結婚している人だったのだ
ーーーーーーー

宣孝は遊び心のある人で、これはつれないあなたを恨んで、激しく泣いたために流れた、紅の涙の色だよと、手紙に細工をしています。

紫式部は、それに対して、古今集の誹諧歌、

紅に染めし心もたのまれず人をあくにはうつるてふなり
・紅に染まったあなた心もあてにはなりません。紅は灰汁につけると色があせるように、人も飽きてしまえば心変わりすると聞いています(一〇四四)

をふまえて、「いやだわ、紅は心変わりの色よ」とやり返しています。

ここで「紅涙」について補足。紫式部の父、為時は996年の除目じもくでようやく越前守になることができましたが、それは申文もうしぶみ(自己PR文のようなもの)に書いた漢詩、

苦学の寒夜かんや紅涙えりうるほす
除目の後朝蒼天そうてんまなこに在り

に感心した一条天皇が、越前守は別の人に決まっていたのに、為時と入れ替えたと言うのです。

為時の「紅涙」は苦学が報われない悲しみの涙、宣孝の涙とはぜんぜん違いますけれどね。

次回は、紫式部と宣孝がけんかしている和歌を読むことにしましょう。ーーつづく

2024年1月11日記

女ともだち(1) 紫式部集 1、2、6、7番
女ともだち(2) 紫式部集 8、9、10、11、12番
女ともだち(3) 紫式部集 15、16、17、18、19、39番

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