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祝ってもらうという学び

先日、私の誕生日がありました。
もう何回目か忘れてしまうほど体験した
自分の誕生日。
大人になると、
あまり「今日は私の誕生日です!」と
あまり主張しないのではないでしょうか。

私は小学校で先生をしているので、
よく誕生日の話題をします。
特に低学年。
「先生の誕生日はいつなの?」と
子どもたちの方から
よく聞いてきてくれます。
そして、英語を教えているので、
私の方からもよく話題にします。
なので、他の先生方と比べても、
「noza先生の誕生日は、●●日。」
ということが結構浸透しています。

その成果もあってか(笑)、
朝からバースデーソングの大合唱を
プレゼントにいただきました。
誕生日を覚えていた児童が
歌い始め、
忘れていた児童が
「え、そうなの!?」と乗っかり、
たくさんの歌声で祝ってもらうという
最高に幸せな時間でした。

子どもたちに自分の誕生日をお祝いしてもらって、
改めて「おめでとう」の気持ちを
伝える機会を持つ
大切さを感じました。
誰かのためを思って、
「言葉にする」
「行動にする」。
そんなことができるような
温かい気持ちになる空間を
教室にいる一人の大人として
作っていってあげたいなと。

これは、学級経営に関わる部分じゃないかなと思います。
大人になると、
「今日は私の誕生日です!」と
あまり主張しなくなるのではと書きましたが、
国を超えれば、
その捉え方は大きく異なります。

たとえば、アメリカでは、
自分の誕生日を友達に伝えて、
パーティを開きます。
「開いてもらう」のではなく、
「自分で開きます」。
いつもお世話になっている
仲の良い友達に感謝の気持ちを込めて、
招待状を送って、会を開きます。

「お祝い事」の原点ってそこにあるんじゃないかなと。
感謝の気持ちのやりとりを
行えるような気持ちを育てることと、
感謝されるような人間になること。
それは、常日頃の自分の姿を
振り返る機会にもなります。

そう考えると、
「お祝い」を学級の中で
しっかりと意味を持たせて行うということに
価値があるのではないかなと思います。

クラスの一人一人が
かけがえのない大切な存在である、
ということを、
普段の生活の中から
伝えていけるような仕組みを
教師がリードしていかなければ
いけないなと改めて感じます。

また、子どもたちが
「お祝いの仕方を知っている」ということも
実は大切です。
「おめでとう」という気持ちを持っていても、
言葉にすることがなかったり、
表情に表れていなかったりすると、
自分の心は伝えられません。
「こうやって伝えたらいいんだよ」という
経験値を増やすためにも、
クラスでお誕生日をお祝いする、ということには
価値があるのではないかと思います。

子どもたちのおかげで
最高の門出を迎えることができました。
共に過ごしてくれていることを感謝して
毎日を過ごしたいと思います。

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