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嵐へ、ありがとう。


私が大好きなアイドル、嵐。

2020年があと少しで終わる。同時に、あと少しで嵐も活動休止を迎える。私は、嵐にたくさん助けてもらった。嵐がいたから頑張れた。そんな時代がいくつもあった。とにかく、嵐に感謝を伝えたい。そんな想いで、今日はnoteを綴ってみよう。

あ。でも、まずは嵐さん。
日本レコード大賞、特別栄誉賞おめでとうございます。
ここまで走り続けてくれて、本当にありがとうございます。ずっと、これからも大好きです。

リクツじゃなくて、ムチュウになって
こんなキモチ嘘じゃない
(ハダシの未来/嵐)

中学時代に嵐を好きになった。
きっかけは「花より男子」。道明寺を演じる松潤に惚れ、主題歌を歌う嵐が大好きになった。音楽番組もそうだし、「Dの嵐」とか「嵐の宿題くん」とか。嵐が出ている番組はCMも含めて隈無くチェックして、録画して。何回も何回も観ていた。部活とか塾とか生徒会とか。当時は、それなりに忙しい中学生時代を過ごしていたように思うけど、アラシゴト(って、当時は言っていた気がする)をしている時間がシンプルに楽しかった。夢中になっていた。好きだった。

言わないけど はじめての深い いとおしさは嵐
(感謝カンゲキ雨嵐/嵐)

高校受験の時には、「サクラ咲ケ」をよく聴いていて励まされた。大好きな嵐が、背中を押してくれている気がして。「そんなに聞く?!」ってくらい、朝も昼も夜も聴いていた。ハマったら、とことんハマる性格。そんな自分の特性に気づいたのも、嵐を好きになったおかげかも。「サクラ咲ケ」だけでなく、私の頭の中には、この時期に繰り返し聴いてきた嵐の曲や歌詞が記憶された。

あの頑なで意地っ張りな僕を変えた君の手
(Love so sweet/嵐)

高校時代。待ち望んでいた。
第一志望の高校に合格できたこともそうだし、私にとっては"高校生になったら、嵐のファンクラブに入れる!"という事も、大きな楽しみの一つだった。念願の、はじめての、嵐のファンクラブに入らせてもらった。お父さん、お母さん、ありがとう!!!これで私はコンサートに参戦できる!嵐に会える!!!より一層、嵐が好きだという想いに拍車をかけた。通学時間の往復3時間も、ほとんど嵐を聴いていた。そして、「嵐が好き」という共通点によって、気の合う友達ともたくさん出会うことができた。嵐さんありがとう!!!何度も思った。

明日を眩しいくらいに 上手く描こうとして
(アオゾラペダル/嵐)

嵐は、私にいろいろな感情を教えてくれた。
 
高校1年生の時。
ARASHI AROUND ASIA 2008。チケット抽選に申し込む。当然当たると思っていたら、まさかの落選。当時の私は、外れるなんて全く想定していなくて。しばらく放心状態。当選したという友人の報告に「よかったね!おめでとう!」と心から言えていたのか、酷い顔をしていなかったか、心配になるくらい。すごくすごく落ち込んだ。

嵐が出ている番組は何でもチェックしていたのに。わかる範囲のものは全てを知りたかったのに。自分が行けなかったこのコンサートの様子を伝える情報番組だけは、なかなか見る事ができなかった。悔しい?悲しい?せつない?……どれが1番近かったのかな。嫉妬に近かったかもしれない。はじめての感情。会いたかった。行けた人たちが羨ましかった。自分が行けないことに対する憤りも強かったように思う。同じように外れた人のリアル(当時はたしかTwitterではなくて、"リアルタイム"っていうものを使っていた)を見て、心を落ち着かせていた。何で?こんな風に思ったことはなかった。心が未熟だった。若かった。

でも、不思議なもので。落ち込んでいた私を励ましてくれたのも、やはり嵐の歌だった。

「いつか笑ってまた再会 そう絶対」

still...の歌詞。翔くんのラップが私に希望をくれた。
また会える時まで頑張ろうと思えた。

涙だって そうさ明日のEnergy
未来に向かって激しく突き抜けろ
(A・RA・SHI/嵐)

そして、また。チャンスが来た。高校1年生の秋。
ARASHI Anniversary tour 5×10。
コンサートの日程が出て、抽選に申し込む。

今度は絶対に会いたい!どうすれば当たるだろう、会えるだろう。真剣に考えた結果、とにかく「徳を積む」という思考に至った。いい事していれば、きっと嵐に会えるはず。好きな人に会いたい、嵐に会いたいから、絶対に悪いことはしちゃダメ。いい事を繰り返そう。今思うとすごい思考回路をしている。でも、当時の私は本当に必死で。ボランティアとか掃除とか。あと家のお手伝いとか、勉強とかも含めて。自分にできる事で最大限の徳を積む、いい事を積み上げる。そんな努力をしていた。そうすれば、きっと嵐のコンサートに行ける。高校時代の成績。1年生後期からめちゃくちゃ上がっているのは、確実に嵐のおかげ。嵐が、当時の私の原動力だった。

誰かが誰かを支えて生きているんだ
単純な真実が傷を癒してく
(感謝カンゲキ雨嵐/嵐)

当選のメールが来た時は、嬉しさのあまり泣いた気がする。嬉しくて涙が出るって、受験に合格した時だってなかった。これもまた、なかなか味わえないはじめての感情体験。本当に嬉しかった、心から。嵐に会える、コンサートに行ける。それだけで、何があっても生きていける気がした。

はじめてのコンサートは、初っ端から泣けてしまった。今でも思い浮かぶ。嵐と同じ空間にいれたこと。幸せだなと思った。こんな風にこの会場にいる5万5千人の人たちが思っているのかと思ったら、それも本当に凄いし、なんて尊い空間なんだろうとも思った。感動した。生の嵐、凄かった。

オープニングの「感謝カンゲキ雨嵐」。

東京ドームの上の方から、何度も聴いた大好きな曲を歌って降りてきてくれた。感動した。感動しすぎて、また泣けた。ありがとう、忘れない。

答えを見つけようと 思い出また積み重ねてる
ここから新しい場所へ 何も恐れないで
(Happiness/嵐)

それからは大学2年生まで、毎年コンサートに行かせてもらっていた。幸運だったと思う。嵐はどんどん人気になっていった。私が初めてコンサートに行く事ができた2008年は、「One Love」や「truth」など楽曲も大ヒット連発で。以降、嵐がどんどん人気になっていくのがわかった。チケットも取りづらくなってきていた。「徳を積む」とか、そういうレベルではなくて、物理的にファンの数も増えていた。嵐もすごく考えてくれて、公演数とか会場とか目一杯頑張ってくれていたけれど、それでも落選してしまっていた。弟の名義と、祖母の名義でもファンクラブに入らせてもらって。ようやく行くことができていたコンサートだった。

「トップになりたいって夢、絶対に叶えようね」

嵐が初めてパーソナリティを務めた24時間テレビ。相葉ちゃんが涙ながらにメンバーに伝えた手紙は有名だ。私も、嵐の夢を一緒に応援したかった。でも、何だかどんどん遠くに行ってしまうような寂しさもあった。また不思議な感情。はじめての感情体験。自分の方が先に好きだったのに、後から好きになった人がコンサートに行けるなんてズルイ。そんな風に思ってしまった事もあって、なんて未熟だったんだろうと思う。私だって、昔から応援していたわけではないのにね。自分のこと棚に上げて、何を思っていたのだろう。でも、悔しかったし、好きだったんだよ。そんな風に思うことを嵐は望んでいないだろう、そう思ったからそんな考え方はすぐやめたけどね。好きなのに、応援し続けたいのに、すごく複雑な感情で苦しかったな。

嵐の存在が、私の思考や考え方に影響を与えていたのは間違いなかった。


あの頃憧れてた未来を歩き出した
わからなかったこと 少しわかり始めた気がする
(season/嵐)

大学3年生。嵐のファンクラブをやめた。
コンサートの抽選、申し込んでいた3名義とも全部外れてしまった。もういいかな、と思ってしまった。「DVD買えばいいしね、もうやめよう」。そんな風に、母と話した事を覚えている。ショックではあったけれど、これは嵐が人気になって、彼らの夢にまた近づいている証でもあり、私にとっても新たなライフステージが始まるの一歩だったのだと思う。

思えば、大学に入学してから嵐が好きという想いは落ち着いてきていた。学科も楽しかったし、サークルも充実していたし、初めて心から好きな人にも出会えて、付き合うことになって。私の生活は嵐なしでも成り立つようになってきていた。もちろん、嵐が大好きなことには変わりない。でも、高校生の時みたいに毎回音楽番組をチェックするとか、アラシゴトで一喜一憂することはほぼなくなっていた。新曲が出る度に買っていたCDも、買わなくなった。嵐ではないものに費やす時間とお金が増えた。大好きだよ、すごく大好きなんだけど。自分なりに"嵐が好き"という想いの温度も、変化させていったように思う。

終わったはずの夢がまだ
僕らの背中に迫る 刻まれた想い出が騒ぎ出す
(PIKA★★NCHI DOUBLE/嵐)

「嵐、活動休止だって!」

寡黙な父が、珍しく私と母に嵐の活動休止を伝える速報を教えてくれたのは2018年。2年前のこと。社会人4年目。高校時代の私が、同じニュースを聞いていたら、どんな風になっていただろう。私は落ち着いていた。そんな自分を客観的に見て、大人になったなぁと思った。

どんな時も、ファンの事を考えてくれた5人。
活動休止までの猶予期間も、本当に本当に優しいなぁと思う。ファンを置いていかない。それぞれがしっかり次に進むための準備期間、だよね。
コンサートの時に印象的だったのは、本当によく感謝を伝えてくれたところ。私の方が、心から嵐にありがとうって思っているのに、いつも嵐は感謝の気持ちをファンに届けてくれた。ありがとう。本当に大好きだった。

どこかで振り返る その時が来て
(風の向こうへ/嵐)

活動休止までの期間、特に2020年は嵐をたくさん聴こう!そう思っていたのに、思っていた以上に聴くことができなかった。絶対観ようと思っていた11月3日の配信ライブさえ、見なかった。やっぱり私もこの10年で変わった。

ただ、この1年は本当によく嵐の歌詞を思い出した。
私が聴きまくっていた過去の曲。嵐に夢中だったときの青春の曲たち。ふとした時に脳裏に思い浮かんで、たくさん励ましてもらった。考えてみれば、私にとって辛い時や悲しい時。そんな時ほど、不思議なくらいに浮かんでくるのは、昔身体に刻み込んだ嵐の曲だった。すごいよね。しばらく嵐から離れていたのに、私の身体は嵐の曲を覚えているんだから。関わり方や想いの変化はあった。でも、ずっと心にいるんだ。「大好き」にもいろんな温度や関わり方がある、そんなことも教えてくれた人たちだったと思う。

ずっとずっと心にあるんだ
だからこそ伝えてみたいんだ
(5×10/嵐)

同じメンバーで、ずっと活動し続けることがどれだけすごいことで大変なことなのか。大人になればなるほど痛感した。組織に属すれば属するほど、嵐の偉大さも別の視点で感じるようになった。成果を生み出し続けるには、個人としても、組織としても成長し続けなければその結果は得られないと思っている。どれだけ彼らは努力してきたのだろう。いくらアイドルとはいえ、夢を叶えるとはいえ。やっぱりすごい!と思わざるを得ない。個が光る5人だったけど、5人が奏でるハーモニーが最高だった。それが、人々の心を動かしたんだろうなと思う。

たしか翔くんはどこかの番組か雑誌で「嵐という名のプロジェクト」って、自分たちのことを表現していたと思う。素敵な言葉。本人たちもそうだし、嵐にかかわるすべての人たちを巻き込んで、大きくなっていったんだと思う。まさに、嵐。結成21年の歴史を考えたら、関われたのなんてほんの一部だけど、本当に嵐を好きになることができてよかった。ありがとう、これからもありがとう。

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車輪が回り出したら 旅は始まってしまうから
もうはぐれないように 過去をそっと抱きしめる
(still.../嵐)

この先。活動休止が、もし明けるのであれば。
その時にまたどんな自分になっているのか、嵐を見てどんなことを思うのか、そんな自分が楽しみ。嵐の歌が残っている限り、私は力に変えられる。さあ、あと少し。大好きな嵐と、2020年12月31日を終えよう。

今日も最高に素敵な1日を。

のざき


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