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HSPなのかもしれない私の思うこと

自分が一番ホッとできる心身ともに安らぐ時間は何だろうと考えてみた。

それはやはり布団の中で音楽やラジオを聴きながら、横になっている時だなと。

私はメンタルの疾患もあるけれど、それと共にHSPの気質がどうも強いようだ。聴覚過敏と人の視線にも過敏なところがある。刺激に弱く暴力的な日本映画が苦手。人一倍疲れやすく、その為に布団で休む時間が必要なのだ。

独りの時間の大切さ。それは自分の心と身体を守るため必要不可欠。

昔はまだメンタルの疾患はなかったけれど、HSPと呼べる気質はあったように覚えている。

まず友達関係は深く狭く。一対一が好きで、大勢でワイワイガヤガヤするのが苦手。

発表が死ぬほど嫌い。しかもあがり症。声がコンプレックスだし、上ずった声で発表する時の辛さは耐えがたい。

睡眠を人より倍必要とする身体というものもあった。つまり子供の時から疲れやすい。疲れてくると腎臓付近が痛くなった。何か悲しい。

環境の変化が苦手。中々適応出来ない。クラス替えとか今考えても慣れるまで地獄だった。4月5月6月と心が休まる日があまりなかった。


と思いつくまで書いてみたが、実は他の何か疾患が子供の頃から隠れていたのかもしれないが、分からないままになってしまった。大人しいね、内気だね、女の子らしいね、と言われてきた小学生時代。見た目は今もだが男の子に近かったけれど、クヨクヨと細かいことに悩んでいた内気な少女だった。


私は、もうすぐ40代で、臆病で警戒心の強い女で、もう純粋な心ではないけれど、あまり子供の時から心身面で成長がない気がする。子供おばさんなのかもしれない。清い心でいたいけれど、人のことを妬むし、悪口も言いたくなる。

HSPだと自分の気質について思うけれど、ただのノイローゼの女なのかもしれない。曖昧な性質。自己判断でHSPと自認している人は多くて、とにかくわたしが言いたいのは、今の日本は生きていくのが疲れるし、心の中の大切な部分がすり減りやすい。テレビやラジオや新聞、人生が上手くいっている人向けのものが多い。一度社会からドロップアウトしてしまうと這い上がるのが難しいことも分かる。

敏感で繊細過ぎる心を持っている人たちは、日々疲れることが多い。

もっと楽に自分の心が喜ぶことをしたいね。HSPでもそうでなくても心がもっと楽になれる社会になることを祈っている。道端に咲く花や夜空の美しさ、どんなに小さいことでも何かを感じて、心が動く瞬間に出会いたい。

一人一人がもっと楽に生きれたら。