見出し画像

ネットと自分。過去の後悔。

ネットサーフィン、つい検索したくなる癖があるし、ネットとの付き合い方について考える。

タメになる言葉や、同じ考えの人だったり、心が軽くなる記事が見たくてグーグル検索を長時間してしまう癖があった。

一言で言うと、救われる言葉探していた。

現実は検索する時間が経つ度に不安感が増したり、傷つく言葉を見てしまったり、不快な広告に気持ち悪くなることも。悪循環という感じだった。

それでも、自分の気になることや悩みなどを検索してしまっていた。自分の隙間を埋めてくれる言葉なんてきっとないのに。

言葉というのは時に人を死に追い詰める凶器ともなるし、絶望の淵から救ってくれたりもする。

「適切な使い方、発言の仕方」

とても難しいと思う。自分も出来ていないと思うし。以前、15年ぐらい前のこと、ガラケー時代だった時、私は知り合いに対する妬みから、酷い言葉のメールを送ってしまったことがある。私生活に対する嫉妬からの言葉。送った時はスーッとした気持ちになるが、どんどん自己嫌悪と自分が悪人になった気持ちに責められた。知り合いは嫌な気持ちになっただろうし、言葉一つで関係性が切れてしまうことを悟った。

スマホに買い替えてからは人を傷つける言葉や中傷は一切止めようと心に誓った。言葉の使い方、永遠に考え続けないといけない。


検索もついダラダラとしてしまうこと今でもある。その度にぼんやりした気持ちになる。でも辛い時は同じ状態の人を探してしまうし、安心できる言葉それが欲しい。ネットとの上手な付き合い方は模索中。

人によってネットの使い方は違うし、長時間ネットサーフィンして楽しくてその人にとって役に立つ情報を仕入れる人もいる。上手い下手はあるよなーと。神経過敏の傾向がある自分のような人間はほどほどがいいみたいだ。情報過多になったら、ネットデトックスをしたり適宜に。

あの頃嫌なメールを送ってしまった知り合いの女の子に謝りたい。羨ましかったんだと。その声はもう届くことはないだろう。一度してしまったこと、亀裂は埋められない。言葉の持つ力を良い方向に向けていきたいし、過去の過ちはこれからも懺悔し続ける。