何者にもなれないコンプレックス。

「私にはなにも特別なスキルがない」事について、
ずっとコンプレックスを感じて生きてきた。

私の周りには、

音楽を作れたり
絵を描けたり
カメラマン
本の編集者
皮職人

色んなスキルを持っている人がたくさんいる。


でも

私はどれも極めたものがなくて

女優とか、アイドルとか、コスプレイヤーとか
色んな事をやってきたけれど

どれもとことん突き詰めるまではいかなくて
(一つのことを集中的にやってると飽きちゃう)

私は、結局、どのジャンルにもハマれず
これがすごく得意です!と言えるほどの特殊スキルも持っていない。

肩書きらしい肩書きがない。

肩書きのない自分は、社会から「あなたは何者でもない、何も達成していない、中途半端な存在です」と言われているようで、そんな自分にしょっちゅう自信を無くしていた。分かりやすい肩書きがあったら楽だろうな、とよく思った。

そして、去年コスプレを引退して

私って今ほんとうにいよいよ
肩書きがなんもないニートだなって思って

でも

何もないニートでも生きてていいんだって、
「ただ存在してるだけでいい」って最高じゃん!とも思った

それはすごい希望だな
生きる根源のエネルギーだ


いつも

何も貫けない自分を

周りの人や
色んな歌手や俳優さんと比べて

私はあんな風に何か一つのことに
ストイックになれない、

「飽き性でダメな私」と
卑下しまくってた。


でも、なんか貫いてなきゃ、生きてちゃいけないの?

そんな世界生き辛くない??

「私は何者でもない」

その事で悩まなきゃいけないのは
生き辛くない??

何者かじゃなきゃだめ??

わたしはわたしだよ
コジコジはコジコジだよ

それでいいじゃん
なあんにも生産しなくても
社会の役にたたんでも

いいよ


実は、私自身が好きなのは

叶姉妹みたいに

「叶姉妹は、叶姉妹だよねえ…」

としか言えない
肩書きが謎の人たちだったりする。

あとは黒柳徹子さんとか。

もはや「自分がジャンル

みたいな。

だから、肩書きがない怖さやそわそわ感を乗り越えて
ルキノもそういう存在であれたら最高だな!と思う。

パルプンテな女。


***


坂口恭平さんの「まとまらない人」という本の帯に書いてあった、

「0円ハウス、独立国家、いのっちの電話、小説、絵画、料理、編み物…なんでもやってみる。みんなだって、ちっちゃい頃、歌って踊って絵を描いてたでしょ?なんで今はしないの?

という言葉。

上手いとか下手とか、
プロとかアマチュアとか
将来お金になりそうかどうかとか

そんなこと関係なく

純粋に、やりたいと思ったことを、やってみる。

ただシンプルに、それでいいんだよなあ。

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