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"野谷生誕記"-そして今。~vol. 1~

幼少期の思い出

生まれ育ちは神奈川県の中郡。
実家は野谷写真館本店(ちなみに支店は無い)で、
三人兄弟の末っ子として幼少期から可愛がられて育つ。

1歳野谷

初恋はいまでもはっきりと覚えている、幼稚園の青木先生。
4歳の自分と29歳の青木先生との間には、一見大きな壁があるように見えるが、当時は本気で結婚できると信じていた。
(青木先生、青森で元気にお過ごしでしょうか?)

いじめ

さて、幼少期のエピソードとして一番色濃く残っているのは、
青木先生との大恋愛ではなく、小学生のときにあったいじめ

なぜいじめられているのか当時は理由すらわからなかったが、
今思い返すと2つ考えられる。

まず1つ、父親が小学校の先生だったため、
夏休みの宿題は手伝ってもらい、休み明け表彰台に立つことが多々あった。
父親の手柄で鼻高々な自分のズル賢さに、周りは距離を取り始める。

2つ目、女子からモテたかったが故に、
学校に持ち込み禁止のお菓子(ポイフル)を女子限定で配っていたのだ。
(モテの思考が単純すぎるではないか。)

上記2つが主な原因で、
誰も輪に入れてくれない、チーム分けでは自分が最後に必ず残る、
こんないじめが1年近く続いた。

小学生野谷

スーパーヒーロー米田くん

5年生のときに米田くんというクラスメイトが現れる。

米田くんはすっごく面白くて人気者、男女問わずみんなからモテモテ。

自分と同じくらいの身長だったため、並び順では隣になり、それをきっかけに米田くんと仲良くなった。

そう、この米田くんとの出会いが、
野谷勤の原点だと言っても過言ではない。

「米田くんのようにみんなを笑わせる人間になりたい!」

この想いが、モテるためにポイフルを配っていたキザな自分との決別へつながる。
そして人気者の隣に居るようになってからは、
いじめがぱったりなくなったのだ。

米田くんとの出会いと自分がいじめられていた経験のおかげで、
周りを明るくすることが好きになり、置いてけぼりの人をほうっておけなくなった。
自分の行動で誰かが笑顔になることに、心から喜びを感じた。

そんな米田くんとは中学生になって一緒にバスケをし、
別々の高校に進学しても一緒に遊び、
大人になってからは、お互いの結婚式に参列した。
(米田くんは現在、地元で警察官をしている。)

・・書いていて思ったのだが、これは米田くん記ではないだろうか。
いやそんなことはない、大丈夫だ、
米田くんと出会ったおかげで人生が180度変わった野谷勤の話だ。

まとめ

幼少期を振り返ってみて伝えたいことは3つ。

1. 過去の辛い経験も、必ず自分の糧になる日がくる
2. 周囲を明るくすることで、自然と自分も楽しい人に
3. ポイフルを配ってもモテるとは限らない

ということである。

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株式会社サーキュレーション 野谷 勤 / Tsutomu Noya
Mail : tsutomu.noya@circu.co.jp
個人FB : https://www.facebook.com/yegu.qin
Twitter:@noyasan
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代筆:東 佳菜子/Kanako Higashi

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