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"野谷生誕記"-そして今。~vol. 2~

中学時代

中学生のときに、昔から恋焦がれていたチホちゃんと2年間お付き合いした。
実はチホちゃんも自分のことがずっと好きだったらしい。

当時は一緒に下校をするだけでも緊張した。
放課後チホちゃんの実家に電話することもあったが、
過去1番緊張したテレマは、おそらくあの瞬間だった。

そんなチホちゃんとは別々の高校に進むため、残念ながらお別れをすることとなる。

高校時代

地区トップの高校に進学するも、周囲の学力の高さに圧倒された。
学年テストでは365名中364位(※1名欠席)という成績。

そう、学年最下位を叩き出し、人生で初めて挫折を経験した。

ここにきて改めて勉強嫌いを痛感したため、
一方で得意のバスケットボールでの活躍を志す。
なんとか国体予備選手になるも、
自分よりはるか身長の高い相手と戦い、完敗。

「安西先生・・バスケがしたいです・・!」という、
感動的なシーンは登場せず、早めの人生2度目の挫折。

結果、青春を謳歌しようとスクールラブへ溺れる。

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学祭委員を務めていたので、それなりにちやほやされており、
1個下のゆかこちゃんと2年間お付き合いをした。
2人でたくさんの思い出を作ったが、
最後のデートは今でも鮮明に覚えている。

映画”黄泉がえり”を観た帰り道「柴咲コウが歌う主題歌もいいよね~」
と会話に華を咲かせようとしたが、驚くほど盛り上がらなかったのだ。

歌詞にある通り、時間の果てで冷めゆく愛のぬくもりを感じ、
その場でサヨウナラを告げた。
そもそも付き合ってからずっと、
野谷100%の愛のカタチを35%で受け取られていたのも気づいていたが、
こうして青春期の大恋愛は幕を閉じた。

浪人時代

浪漫飛行をしていたため、見事浪人。

浪人生になってからは一念発起し、
憧れの慶應大学入学を目指し1日8時間猛勉強。

しかし1年間の苦労も儚く散り、慶應大学への門は開かれず、
青山学院大学の経済学部と同志社大学の商学部(夜間)のみ合格という結果になった。

「一人暮らし?夜間?そんなのダメダメ」という両親からの反対もあり、
本当は同志社に行きたかったが泣く泣く青山学院入学を決め、
無事大学進学への準備が整った。

さて、ここでシナリオ通りにいかないのが野谷家である。

ある日入試が終わり友人と遊んでいると、両親から大量の着信履歴。
「急いで家に帰ってきなさい!」と電話越しでも血相を変えているのが想像できた。

帰宅すると、まさかの展開。
母親は号泣、父親はチワワより小さく体を丸め謝罪をしてきた。
恐る恐る「一体なにがあったの・・?」と聞くと
「青山学院の入学金を支払い忘れた」とポツリ。

「・・・なるほど!」しか言えない自分は、念のため同志社の合格通知を確認。
入学金の支払い期限が翌日までだったので、
ギリギリ二浪にならずに同志社大学夜間への入学が決まった。

浪人時代(おまけ)

2日後に青山学院から「入学金申請は出来てますが、お金が振り込まれてません」という確認電話が自分にかかってきた。
つまりそれは、”いまならまだ間に合うぜ”というご親切な通達。

しかし、念願のひとり暮らしのチャンスが再び舞い降りてきた自分は、
「あ、もう大丈夫です!」と即座に電話を切り、
同志社大学入学のため京都での生活をスタートする。
・・この話を両親にしたのは、大学入学してからっていう、ね。

大学時代


京都で初めてのひとり暮らし。
新しい世界を知れた大学時代は、間違いなく人生で1番楽しかった。

ほとんど毎日、鴨川で友達や女の子と遊び、
ドラマ”オレンジデイズ”のような胸キュン生活。

将来どんな仕事をしたいか全く考えておらず、
もちろん就活も真剣に取り組まなかった。

のちにこれが大変な苦労となるが、
当時は全力で目の前のことを楽しんでいたし、
社会人になっても9割は楽しいことだらけだと思っていた。

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まとめ

学生時代を振り返ってみて伝えたいことは2つ。

1. 一方通行の恋愛はうまくいかない
2. 目の前のことには全力で取り組むべし

ということである。

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株式会社サーキュレーション 野谷 勤 / Tsutomu Noya
Mail : tsutomu.noya@circu.co.jp
個人FB : https://www.facebook.com/yegu.qin
Twitter:@noyasan
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ライター:東 佳菜子/Kanako Higashi

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