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ショートショート『貯金残高やさしい5円』

貯金残高、1,832円。
それと、ボストンバッグ一つに収まった生活のあれこれ。
家を引き払って、実家に帰る片道切符を買ったら、残ったのはたったのそれだけだった。
身軽といえば聞こえがいいけれど、ここ数年の人生の集大成がこれだけなのかと思うと泣けてくる。

35歳。
夢破れて、故郷に帰る。かっこいい言い方をしてみても、結局は1,832円ぽっちである。

まずい。やばい。おそい。
どうなる。どうする。どうしよう。

手を変え品を変え、ぞくぞくと沸き起こる焦りを飲み込んでしまいたくて、キオスクのクーラーを開き、ストロングゼロを手に取った。



「もういいっすか。」

カーテンのなくなった部屋を眺めて、感傷的な気分に浸っていると、
管理会社のひとが思い出プレイバックを一時停止するようにカットインして言った。

「査定も確認も、もう終わってるんで。いいすか。次もあるんすよ。」
「すみません。ありがとうございます。」

こんな日に退去するひと、俺以外にもいるんだなぁ。まあ、あたり前か。
見知らぬ誰かにふしぎな縁を感じつつ、鍵を返して部屋を出る。

「じゃ、あとは管理会社から連絡行くんで。ありがとうございました。では。」
「お世話になりました。」

カンカンッと階段を足早に降りていく革靴を見送りながら、玄関前に立ちすくむ。
見慣れた裏道。自販機の横に、知らない猫が寝そべっていた。

なんだかんだ10年ちょっとお世話になった部屋だ。西向き、オンボロ、日当たり見込めず、駅どこ。なぜか窓だけはやたらと大きくて、夏は暑くて冬は寒い。いい物件とはお世辞にもいえないが、家賃は格安。
身の丈に合った部屋ともいえるが、その部屋すらもう出ることになった。

ぜんぶ、捨てていこう。

モノは、買うより捨てるほうが大変だ。
粗大ごみの処理券を買って、業者に依頼して回収に来てもらって、「ごめん、もらってくれ!」と知り合いに頼み込んで、何とか部屋を空っぽにした。
あと、次の人が使うだろうと思ってお風呂のふたを置いていったら、後日しっかり撤去費用が差し引かれていた。世知辛い。

ガチャリ。

わかっているのに、もう開かないドアノブを回してみたら、にぶい錆びた音が廊下に響く。
ここはもう自分の場所じゃないんだなぁ。
さっきまで生活していた場所から拒まれたようで、急にさびしさが込み上げる。

「お世話になりました。さようなら。」



「さみしくなるよ~。」
「またきていいからね。」
「元気でね!」
「ありがとうございます。ほんとに、お世話になりました。」

生活にはお金がいる。あたり前だ。
さらには、役者だのバンドマンだの、いわゆる夢追い人たちはいつだって金がいる。ぶっちゃけ目の前に特大のチャンスが降りてきたとき、来月の家賃光熱費スマホ代を気にしないでいいかが、人生の分かれ道だったりする。

そこで非常に重要になってくるのが、バイト運だ。
時間の融通が利いて、できるだけ時給がいいやつ。
都合を提供することで、お金になることはあれど、こちらの都合で、ほどよく働ける場所は、そうそうない。
東京でこれまで曲がりなりにも家賃を払ってこれたのは、このバイトに出会えたおかげだろう。
保険のコールセンター。シフトの融通も効いて、一緒に働くひともみんないいひとたち。
お芝居を見に来てくれたひともいたし、ただのバイトなのに寄せ書きまでもらってしまった。うれしい。

「あ、ほんとにやめちゃうんすね。」
「あ、ヨシダくん。今日シフトだっけ?」
「いや、邑田さんラストだから、挨拶しにきました。」
「えー!わざわざごめんね!ありがとう。」

ヨシダくんはだいぶ年下だけど、席が隣だったこともあって仲良くなった。
要領が良くて、俺と違ってすぐに仕事を覚えてしまうし、何年も先に入った俺より断然仕事ができる。
これどうすんだっけ?と、逆にめちゃくちゃ助けられちゃった。

「覚えてます?僕が入ってすぐ、ちょっと困ったお客さんに捕まったとき、横で資料の場所教えてくれたりして、助けてくれたの。」
「えー、そんなのあったっけ?」
「助けすぎて、邑田さん自分の電話落としてめっちゃ注意されちゃって。」
「あー、そんなことあったかも!」
「そういうのがあたり前な感じ、めっちゃすげぇなって。」
「いやいや、こちらこそだよ~。」
「お芝居は、やめちゃうんですか。」
「うーん、まあそうなるかなぁ。他にやりたいこともないし。」
「そうっすか……。」
「うん。」
「まあ、邑田さんは、やさしさを失わなかったひとだから、大丈夫っすよ。」
「ありがと。……?えっ、どゆこと。」
「はは!無責任なエールです。そんじゃ、お元気で。」



ターミナル駅の周りは、イルミネーションで溢れていた。
キラキラしすぎて、自分の現実とは別世界だ。
なにせ、こちとら手数料をかけたくなくてATMを探し回っている。数百円が命取りだ。サンタさん、手数料無料にしてください。お願いします。
結局、東口やら西口やら行ったり来たりして、やっと見つけたATMではお札しかおろせなかった。年末対応ってやつだった。

貯金残高、832円。
くしゃくしゃの野口英世が、頼りなくこっちを見ている。

はぁ。頼むぜ野口。
ため息まで真っ白だ。世知辛い。



「ごめんな、ムラさん。最後の錦ぃ飾れなくなっちまってぇ。」
「いいよいいよ、先方都合じゃしかたないし。」

最後のお芝居と決めたのは、小学校のクリスマス演劇だった。
その昔、そこの校長先生が脚本を気に入って毎年恒例行事になったらしい。
劇団も、今は毎年その公演をするためだけに活動していた。

『ふしぎなおくりもの』

内容は、いってしまえばよくあるやつだ。
サンタクロースがプレゼントを配ろうと必死になって、なればなるほど失敗して、そのたびに誰かに助けてもらうってお話。

コミカルなサンタがこどもたちに好評で、ありがたいことにここ数年、サンタ役を演じていた。
履歴書には書けないけれど、誰かの役に立っている気がして。勲章みたいな気がして。
だから、毎年たのしみにしていた公演を最後に決めたのだった。

でも、今年は校長先生が変わって、クリスマス演劇はコンサートになったらしい。

「衣装どうする?預かりっぱなしだけど。」
「いいよいいよ、記念に持っていって。うちもこの芝居なくなったら集まることないしなぁ。」
「そっかぁ。」
「夢見てるうちが、一番夢の中っつってねぇ。」
「嫌なこというなぁ。」
「じゃあ、ムラさん。元気でなぁ。」
「おう。ありがとうね。」

衣装といっても、ドンキで揃えられるようなチープなものだ。
でも、なんとなく捨てられなくて、ボストンバックにサンタクロースを綺麗に畳んで入れた。



こんな俺でも、一度だけ夢がかないそうな気になったときがある。
数年前のことだ。たまたま小劇場の芝居を見てもらった縁で、だれでも知っている大きな劇団の公演に呼んでもらったのだ。

もらった役もおもしろく、自分でも手ごたえのある演技ができた。周りの役者さんともたのしくお芝居ができたと思う。
こころが通ったとき、その瞬間が心地いい。

打ち上げで、まっすぐ目を見て演出家さんに言われたこと忘れられない。

「邑田さんは、いい演技するけど、芝居するにはやさしすぎるね。」
「……、そうっすかね~!」

受け止めきれずに笑ってごまかしたけど、そのことばはこころの隅に居座って、今も燻りつづけている。

その演出家さんは、それからものすごく有名になって演劇界隈をリードするように、今もおもしろいお芝居を作り続けている。

ステージ側じゃなく、あっち側にいる自分を見て。

彼なりの引導だったのだと思う。



「いーかーなーい~!!いや~だー!!!」

ストロングゼロを眺めてながら思い出プレイバックをしていると、5歳くらいだろうか。
キオスクの中に、キッズが引きずられて入ってきた。

「行くのっ!いい加減にして!!」

片手にベビーカー、もう片手に5歳をたずさえて、疲労困憊の様子のお母さん。大変だな。
小学生の時にやった組体操みたいだ。
ピッ。扇のポーズ。なんつって。

行く行かない、行かない行く。ズリズリと扇の攻防を進めていた手が、瞬間パッと離れた。

あっ!!!!!

とっさに倒れ込む5歳を受け止めようとして、半身がクーラーのビールを倒す。

ガランガラン。

「あっ、すみません。すみません!!もう、なにやってるの。」
「大丈夫ですよ!お子さん、ケガないですか。」
「大丈夫です。もう、行くよっ!」

ギャン泣きの5歳をまた引きずりながら、お母さんは自動ドアを出ていった。ベビーカーの中の赤ちゃんはすやすや寝ていた。つよい子だなぁ。
ほんとに、大変だ。


床に散らばった缶を棚へ戻そうと拾い上げると、レジから鋭い視線が刺さってくる。えっ?
振り返ると、店員さんが能面みたいな表情でこっちを見ていた。キラキラモールのついたキャンペーン帽子との対比がすごい。
メガネの奥が、まったく笑ってない。えっ?こわ。
いや、俺じゃないし。見てなかったの?うん。見てなかったんだろうなこれ。

「えっと、これ、いくらですか……。」
「995円でーす。」

5円が返ってきた。
ああ……、お腹すいたな。どうしよう。

「ありがとーございましたー。」

自動ドアを抜けると、ホームを吹き抜ける風が冷たい。
ふところも、極寒になった。世知辛い。



最終まで、まだ結構時間がある。どないしよ。
あてもなく歩いていると、ホームの端にちょっとした人だかりができていた。

「いーかーなーい~の~!!いや~だー!!!!!」

さっきの親子たちだ。
キッズが右肩を起点に観覧車よろしく、ホームで大回転している。
お母さんは、あきらめた顔で立ちすくんでいた。ベビーカーは寝ている。

こりゃあ、大変だ。

「いくの。」
「やだ。だって、いったらサンタさんこないでしょう!!!!」

ん?
サンタさん??



急いで着替えて、人をかき分けて舞台に出た。

「ホーホーホー!」

突然現れたサンタクロースに、キッズの大回転は停止した。
ポッカリした目で、ポカーンとこちらを見ている。
よし、いまがチャンス。

「ほーい!」
これは昔映画でみたハンドクラップ。
たのしい音を鳴らす。そこそこ練習したやつだ。
そこそこ上手くいってるっぽい。

「ほいほーい!」
定番のジャグリング。これはまあ、けっこうイケてると思う。

「はいー!」
クルリンパで、帽子を直す。
お父さんお母さんには鉄板のネタだけど、毎回子どもにはウケないやつだ。

「おー!」

まだらな拍手と、ポカーンし続けるキッズとお母さん。ベビーカーはやっぱり寝ていた。

調子に乗って、今までを思い出すようにお芝居をした。めいいっぱい、サンタは笑顔を配る。

これが、最後の舞台だ。



「おじさん、サンタなの?」
「そうだよ!」
「プレゼントは!?」
「ああ、それね!そっちの担当じゃないほうのサンタなんだ。」
「ええっ!?」
「サンタはねぇ、いろんなところにいるから。お引越ししてもちゃーんとわかるから大丈夫だよ。プレゼント担当のサンタに伝えておくね。」
「ほかにどんなサンタがいるの!?」
「えっと、お手紙を受け取る担当でしょう。プレゼントを運ぶ担当でしょう……。」
「すげぇ!!!」
「サンタがめちゃくちゃ忙しいときは、ヤマトさんとかトイザらスに手伝ってもらうんだ。」
「やばっ!!!!」



すっかり仲良くなったキッズはユウくんという名前で、くしゃくしゃに笑う。子どものときにしかできない、顔面ぜんぶを使った笑顔がまぶしい。
いいなぁ。こころが通うと、心地よいのだ。

舞台が終わり、人込みが散ったあと。
ふと気が付くと堰が切れたようにお母さんは泣いた。そりゃあもう、めちゃくちゃに泣いていた。

「ママ、大丈夫だよ!!!」

さっきまで同じくらい泣いていたユウくんは、そわそわとお母さんの足を掴んでいる。


今日、この日に退去するひとがここにもいたのだ。
家を引き払って、実家に帰るらしい。
そうだよね、家が変わったらサンタが来れないって思っちゃうよねぇ。子どもには子どもの論理がある。

「ほんとうに、ありがとうございました。」
「いいえ、めちゃくちゃたのしかったので!こちらこそです。やんわり駅員さんに怒られちゃいましたけど。」
「ほんと、すみません……。」

クリスマス。今日子供連れで実家に帰るには、
それなりの理由があるんだろう。

「ちゃんとユウの話を聞いてあげればよかった。でも、余裕なくて……。」
「そうですよねぇ、大変ですよねぇ。」

俺には子育ての大変さは、想像でしかわからないし、きっと想像以上のしんどさがあるんだろう。何を言っても無責任なエールだ。ことばがなくて、思わずうつむく。
両手で包み込む缶コーヒーが温かい。おごってもらった。

「誰かにやさしくしてもらったの、なんかひさしぶりな気がします。」
「そうっすか。」


やさしい、かぁ。

「えっと、昔、田舎の母ちゃんが言ってたんですけど。『一生懸命がんばってれば、誰かが必ず見てくれてる。困ったときに、誰かの手を取れる人になれ』って。」
「……。そうかも、しれないですね。」
「たまたまですけど、サンタになれたのはうれしかったし、きっとがんばってきたおかげの縁ってことっすよ。こちらこそっす。ありがとうございます!」

半分は自分に言っているようで、クサいセリフだった。売れない脚本。上手いだけのウケない演技。やさしい芝居。

でも、きらいじゃない。



「バイバ~イ!!」

最終手前の電車で、ユウくんたちは旅立って行った。

ホームに残ったのは、貯金残高832円の男と5円とボストンバックと、やさしさ。

「やさしさを失わなかったひとだから、大丈夫っすよ。」

そうなのかな。夢見るのをやめたら、今日までの日々が意味がない気がしていた。
何にもなれなかったし、履歴書で変わったのは年齢くらいだ。

でも。もしかしたら。きっと。

何にも得られなかったけど、失わなかっただけで儲けもんなのかもしれない。
ただ帰るだけじゃない。引き返してるけど、ちょっとずつ進めてるのかもしれない。

プシュウッ。

「こりゃあ、ひさしぶりに打ち上げの酒が旨いぞ~!」
こころの中で思いっきり叫んで、すっかりぬるくなったストロングゼロを開けた。


🎄

こちらのお話のちょっとだけ続きです。

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待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!